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本日は、様の寄稿コラムです!
例の医大の問題について歴史から紐解き、そしてエリートの選抜システムそのものへの疑義を唱えておられます。
この考察は圧巻でありぜひとも全文お読みいただきたく思います。
本当に今のエリート養成、エリート選抜システムは公益に資するのか?ぜひとも皆様も考えていただきたく思います。
現在進撃の庶民では寄稿コラム執筆者を募集しております。執筆いただける方はでご連絡ください。
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エリートの選抜と養成システムはこれでよいのか?~ソウルメイト様
以下にリブログさせていただくのは、東京医大の入学試験において、純然たる試験結果によって入学の判定をするのではなく女子の入学者を抑え、男子のそれも二浪までを優遇して入学者の割合を高くするような不公平な判定がなされていた、という報道についてのアメーバブロガーの高木克俊さんによるご考察であります。
さて、これに関連して、アメーバブロガーの「安藤昌益」さんは、医大入試において女子が不利益な扱いを受けることは、なにも東京医大に限ったことではなく、ほかの医大でも行われていることで、なぜそういう女子か不利益な扱いをうけるかについての理由を以下のブログの中で論じておられます。
昨今、医療現場で医師不足が叫ばれて久しいわけですが、医者が足りなければ増やせばいいだろう、と思うのはわたしだけではないと思います。しかし、厚労省や文科省は医師不足を解消するために医学校や医学部の新設は認めておりませんし、医学部の定員を大幅に増やすことも消極的なようであります。なぜなのか?
もちろん、医師を養成するためには、国公立大だけでなく、私学に対しても少なくない公的資金が投じられます。そして、日本は三十年になんなんとする長期不況のおかげで税収が恒常的に不足しており、医師を養成するために潤沢な公的資金を投じることができないという緊縮論者のはなはだ有害な主張もその原因の一つだと思います。
ですが、それだけでなく、おそらく、医者を増やすと医者の希少性が損なわれ、医者の所得が減ることを危惧して医師会なんかが反対して、強力なロビー活動をはじめとする政治家への圧力で医師になろうとする者を制限している可能性は小さくないと思います。
知っている人は知っていると思いますが、旧共産圏のキューバなんかでは医師は取り立てて高い所得を得ているわけではなくて、その辺の配管工と大差ないくらいなんだそうです。キューバだけでなく、かつての共産圏諸国においては医師というのは格別優遇される存在ではなく、所得も平均的な労働者と似たり寄ったりなものだったようです。
つまり、ある特定の職業が社会にとって必須なものである、ということと、その職業に就いている者を特権的に優遇してやることは別のことだということなんだろうと思います。
社会にとって必須な職業なら医師だけでなく、農業や配管工や土建業者、運送業者や看護士、介護職員だって必須な存在でしょう。しかし、そういう職業に携わる人たちが医師なみの特権的な資格を付与され高い所得が与えられているか、というとそうではないわけですよね?ならば、なにゆえ、医師だけはそのような特権的な待遇が与えられるのか?納得のいく説明ができるものでしょうか?
しかし、だからといって、社会にとって必須な仕事をする人たちを厚く処遇することが間違いだと言いたいわけではありません。
そうではなくて、医師が社会にとって必要であるゆえに手厚い待遇を受けるにあたいするのであれば、医師と同じくらい社会にとって必要な仕事である農業や配管工や土建業者や看護士や介護職員もまた少なくとも医師と同じ程度に手厚く待遇されてしかるべきなのではありませんか?と思うわけです。
そして、農業や配管工や土建業者や運送業者や看護士や介護職員になろうと思う者は誰でも、その適性があり、努力してその知識とスキルを身につけるなら農業や配管工や土建業者や運送業者や看護士や介護職員になることができます。なら、医師だってそれと同じであったなにがいけないのでしょうか?
農業や配管工や土建業者や運送業者や看護士や介護職員にだって高度な技術や知識は必要で、誰もが簡単になれるというものではないと思いますし、医師だけが特別ということはないと思います。
資格を独占使用させて優遇してやれば、職務に精励して社会に役立つようになるか、というとかならずしもそうではなく、むしろそういう特権にあぐらをかく場合だって多いにありうることだと思います。医師を養成するために、国家は国公立たると私立たるとを問わず、少なくない額の公費を負担しますが、それは、医師という職業が国民の健康の増進という公益と密接にかかわっていると考えるからでしょう。しかるに、現在、もっとも深刻な医師不足が叫ばれているのは、救命救急や産科などの過酷な勤務条件のもと高いリスクにさらされるながら命を救う科や、僻地医療など利便性の悪い条件での就業だとされ、眼科医や皮膚科医はむしろ余っているし、美容整形医が不用とは言いませんが、保険適用外の診療行為で多額の所得を得える者を見ると果たしてこんな美容整形医を養成するために、公費を投じてよいものだろうか?と思えなくもないわけです。
それなら、多少、医大入試における点数が足りなくても、救命救急や産科などの過酷な現場や僻地医療などのように利便性の悪い場所で尽力してくれる人物に医師の視覚を与えたほうがはるかに公益にかなうと思いますし、医療技術の習得と医大入試における受験テクニックとはほぼ無関係だろうと思います。
実は、日本における資格制度というのは、新規参入を阻むことによって有資格者の利益を守る“ギルド的”なものである、という性格を強く帯びているよ
うに思います。
つまり、運転免許のように、ある一定の知識、スキルを持つ者には公平に資格を付与するというものではなく、なんらかのハードルを設けて資格を与える者の数を制限しようとしているわけですね。
医師という資格はまさにそういう制度的な参入規制によって守られた資格である、ということができると思います。医師によく似たものに、法曹資格もあると思います。法曹資格とは裁判官や検事や弁護士となろうとする者に必須な資格ですが、おそらく、一定の基準に達していればすべての者に資格を付与する、例えば運転免許証のようなものとは違って、合格者数に制限を設けて、法曹資格の有資格者があまり増えすぎないようにしているのは、まず間違いないと思います。法曹資格に類似した司法書士や土地家屋調査士なんかの場合も同じようなものであると聞いたことがあります。法律家に求められているのは、高度な判断力だと思いますが、司法試験に合格するだけなら、強力な記憶力さえあれば合格できないものではないと思いますす。
しかし、医学というものは、「経験科学」と言われるくらいですから、少なくとも臨床医に必要なものは、豊富な経験によって培われたスキルであって、単なる記憶力や計算能力などではないでしょう。しかるに、法律家や医師となる者を選抜し養成するためのシステムが、単に記憶力や計算能力のみを問うようなものであるとしたら、そのシステムは有効に機能しないと思います。
医師の国家資格を有していても、医療技術が伴わない者や法曹資格を有してはいても判断力や思考力に問題のある者も少なくないと思います。知識や記憶力のみでもって選抜し、養成するようなシステムはそういうものの役に立たない者を少なからず生み出してしまうことは避けられないと思います。現場における実践者な経験に鍛え上げられることが必須なんだろうと思うわけでありますね。
医大の入試に合格するためには、理系科目のトップクラスの学力を必要とすると思いますが、数学者や建築家、土木工学者、あるいは機械工学などのエンジニアと違って、医師となろうとする者になぜ理系科目の、たとえば高等数学についてのトップクラスの学力が必要なのか合理的な理由なんて多分ないと思います。そういう高い基準を設けるのは、医師になろうとする者の数を制限するための足切りのため、でしかないと思います。医師の業務の中で、高等数学を必要とする場面なんて皆無といっていいでしょう。
ところが、船や飛行機、建物やダムなんかを設計する人たちには、構造力学だとか流体力学だとかについての高度な知識と計算能力は必須でしょう。対数方程式が解けなくても医師としての業務になんら差し支えることはないと思いますが、エンジニアでそれがわからないと話にならないという職種はいくらでもあると思います。工学系のエンジニアになろうと思うものにとって必須な数学的能力が医師になろうとする者のすべてに必要か?というとたぶんそうではないだろうと思います。
ですから、医師を養成し資格を付与するシステムはもともと不合理で不公平なものであると思いますし、医大入試にバスできなかった人たちの中に、医師としての適性を高度に備えた人たちが存在する可能性は低くないと思います。
医師になろうとするものを選別し養成するシステムそのものに矛盾や不公平があるということに目をつぶっておいて、つまり、より大きな矛盾や不公平を容認しておきながら、女子の医大入試における不公平だけをあげつらうというのは、問題を矮小化していることになりゃあしませんかね?と思うわけであります。
江戸時代には、医者になろうとするものは普通はこれぞと思う医者の弟子になって数年、あるいは数十年、見習いの修業をして腕を磨いた後、独立して医者としての看板を掲げるのが通例だったでしょう。
しかし、江戸時代には医師国家試験なんてものはありませんでしたから、医者になろうと思えば誰でもなれたようです。ただし、診療技術が伴わなければ、藪医者の評判が立って病人が来なくなって結果として廃業せざるを得なくなった、ただそれだけのことだったようですが、医師国家試験の合格者の中にだって藪医者や、病気を治すよりも医療過誤によって害を与える者は存在するでしょう。
医師の有資格者をむやみに増やして過当競争によって医師が疲弊することも問題でしょうが、現に医師である者たちの所得を保証するために医師となろうとする者に制限を設けてその志を奪うことが正当なことであるとは言い難いんじゃないでしょうかね?医師が過剰だというならともかく、現に医療現場で医師不足が叫ばれているのに、医師になろうとする者に厳しい定員制限を課することにどんな合理的な理由があるというのでしょうか?
ことは、女性差別だけの問題ではなくて、特定の者たちの利権や利益を手厚く保護することが、社会的不利益をもたらしている、という視点で眺め、検討することも必要なんじゃないかと思うわけであります。
人間というのは、不可避的に社会というものを営む生き物でありますが、社会というものは、これまた不可避的に階層構造をとらざるを得ないもので、社会階層の上位にあるものが社会階層の下位にある者の犠牲においてなんらかの特権を享受する、俗に言えば「いい思いをする」というのは、これまた避けがたく生じてくるものなんだろうと思います。
福沢諭吉は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言って平等思想を説いたわけですが、その福沢が創立した慶應大学は早稲田大学と並ぶ私学の雄として入学するのが非常に難しい、いわゆる超難関校の一つであって、偏差値ランキングでは東京大学に続く大学の序列・ヒエラルキーの上位を占めております。同校の卒業生は、大手大企業への就職に有利とされていますが、同校の卒業生なら高い能力を有していると企業側が判断するからでしょう。
しかし、その種の選抜システム、受験システムが本当に正確に人間の力量や能力あるいは、適性を見極めることができるかと言うと、はなはだ疑問であると思います。
偏差値の高い一流大学を卒業して、大手名門企業に入社して出世していった者やキャリア職の選抜試験をパスして各省庁の幹部となった者たちがかならずしも聡明かつ賢明で、高潔でなかった例は、枚挙に暇がありません。日本におけるエリート選抜と養成システムは大きな問題を抱えていることは間違いないと思います。(もっとも、日本だけの問題ではないと思いますけれど)。
社会が
めるエリートとは、私利私欲を図ることをもっぱらとするような者ではなく、公益に奉仕することを使命と心得る者のことだろうと思います。そして、現在の日本のエリートの選抜と養成システムではそのような者を選抜し、養成することに失敗しているのではないかと思うわけです。知識偏重のペーパーテストの一発勝負で選抜されたエリートが公益に奉仕するという意識よりは、特権的なエリート意識をもちやすくなり、公益に奉仕するよりは、私利私欲を満足させることを優先させやくするんじゃないかと思います。
国民作家と呼ばれた司馬遼太郎さんの著作のひとつに『胡蝶の夢』というのがあって、わたしは司馬さんの作品の中でも、もっとも優れたもののひとつだと思っておりますが、幕末において西洋医学が体系的に導入されたことによる日本の医学の革命的な転換を活写したものです。
徳川幕府は、アメリカの開港を迫る圧力に屈し、「鎖国」という祖法を捨てるわけですが、嫌々、消極的にそうしたというよりも、どうせ開国するんならと、西洋の技術なんかを積極的に取り入れようとしたんですね。
幕府は幕末期、長崎に西洋式の海軍士官を養成するための海軍伝習所というのを開設して、幕臣に学ばせようとするんですが、諸藩の家臣の希望者にも門戸を開いたようで、幕臣の勝海舟や榎本武揚だけでなく、薩摩の五代友厚や佐賀藩の佐野常民なんかもそこで学んだそうです。
その長崎海軍伝習所には、医学校が併設されユトレヒト陸軍軍医学校で医学を学んで軍医になりたてのポンぺ・ファン・メールデルフォールトという若者が西洋医学を日本人に最初に体系的に教えました。
それ以前にも蘭学というものがあって、オランダ語で書かれた書物を読んで軍事技術や医学を学ぶ者は既に存在していました。松代藩の兵学者で、かの吉田松陰なんかも師事した佐久間象山なんが有名ですし、勝海舟が世に出るのに大いに役立ったのも蘭学でした。
幕府はある時までは蘭学を学ぶことを禁止して蘭学者に弾圧を加えたこともありましたが蘭学が現実に役に立つことを認識するに至って、蘭学を学ぶことがかえって奨励されたそうです。
しかし、医学にしろ軍事技術にしろオランダ語で書かれた本を読んで知識を得るというもので、体系的に教え、学ぶというものではなかったんですね。
日本における蘭方医学の草創期に、日本にやってきたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが開いた鳴滝塾で学んだ人たちというのは、日本における蘭方の古い世代に属する人たちで、シーボルトはポンぺがしたような体系的な医学教育は施さなかったようです。
ポンぺが施した体系的な西洋医学教育はそれを学ぶ者たちに革命的な意識の転換を促したことがWikipediaに次のように記述されています。
《この小説(『胡蝶の夢』)の舞台となっている時代は、安政から明治にかけてのいわゆる幕末であり、その時点で初めて西洋医学の組織立った学校が登場したこと、オランダ人医師ポンペにより、四民平等の思想が、医療を通じて徐々に浸透してゆく。タイトルの「胡蝶の夢」は荘子の言葉から来ており、作品の終わりの方で、伊之助が結核にかかって、熱に浮かされながら駕籠に揺られている途中に、かつて読んだ荘子を思い出し、夢と現との見境がつかない状態で「俺は蝶だぞ」と叫ぶ場面でそれが描かれている。「胡蝶の夢」は、荘子が夢に蝶の飛ぶ姿を見て、人間だと思っていた自分は実は蝶で、蝶が夢を見て人間になっているのか、またはやはり人間で夢に蝶を見ているのかという説話であるが、司馬はこれに関し、松本良順が蘭方医学を引き写しで学んだだけで、生身の本人とは違った姿で、封建社会の終わりに蝶のごとく舞ったことをもまた、荘子の胡蝶の夢になぞらえている。
その後、1988年の順天堂大学における講演で司馬は、江戸時代の日本は医者の身分が高く、それが優秀な医学の人材を育てたとも言う。また、資本主義の段階において合理主義が日本社会に根付き、それが近代化を助けたとも述べている一方で、江戸時代を象徴する身分制を否定した西洋医学についても触れている。以下のポンペの言葉は、長崎大学医学部校是ともなっている。
医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい。
江戸時代という封建社会の中で、医師にとっては階級差別、貧富・上下の差別はなく、ただ病人があるだけであると、身をもって実践し、また教えていた。また、「医者はよるべなき病者の友である」ともポンペは言い、司馬自身も講演で、この言葉に言及し、病者の友たる医者の存在を求めている。
この作品の中で、司馬は江戸期の身分制度に言及し、ポンペの持ち込んだ西洋医学はまた、当時のオランダの社会そのものを具現しているともしている。当時の日本の場合は、身分ごとに医師が分かれており、そのため、ポンペがコレラの大流行時以前から見せていた、身分の区別のない「医者と病者」という区分は、良順にとっては目からうろこが落ちるような思いであった。附属病院を作る際にもこの思想が基盤になっている。
これに関して、司馬は「胡蝶の夢の連載を終えて」で、身分制社会からの浮上方法としての蘭学、また医学に感じた限界について語っており、適塾と順天堂の違いについても触れている。この小説のテーマともなっている身分制社会からの浮上、また、江戸の身分制を切り裂く存在としての西洋医学(蘭学)に関しては小説中にも述べているが、いずれにせよこの存在が、江戸期の日本というものを大きく変えてゆき、また、断片的な知識の授与であった日本の西洋医学が、ポンペの授業によって組織的になったことも意義深いとしている。》
以前書いたブログでも若干触れていますのでご参考までに。
緒方洪庵という人は、ポンぺによる西洋医学の体系的な教育が施される以前に、オランダ語で書かれた医学書を読んで学んだ旧世代に属する人でしたが、オランダ語の医学を読んで学ぶ、ということは、そこに不可避的に含まれている平等思想を無意識に身につけることでもあったと思います。緒方洪庵という人は、ポンぺから学んだ人ではなかったにもかかわらず
、驚くほど医師というものの使命や義務については、ポンぺとよく似た考えを持っていたようです。緒方洪庵は、医師というものは病人を平等に扱わなければならないと考えて、貧しい者からは薬代をとらなかったそうですし、医学を学びたいと思う者には門戸を広く開いて来る者は拒まなかったそうです。(『花神』司馬遼太郎著参照)。
しかし、福沢が創立した慶應大学の医学部をはじめ、日本の医大、医学部は、どこも偏った能力のみを要求する歪んだ入試で選抜された者を医師とするべく教育を施しているのではないかという疑いをわたしは抱いています。そんな歪んだ選抜と養成システムで養成されながら、多くの医師が献身的に医師としての務めを果たしているのは驚くべきことで、彼ら、彼女たちのような良質な医師の存在は、歪んだ選抜と養成システムのおかげなどではなく、彼ら彼女たちの個人的な優れた資質によるものが大きいのではないか?と思います。日本のエリートの選抜と養成のシステムは優れた資質を有するものを選抜し、養成するというよりも、むしろ優れた資質を有する者を排除するように作用しているのではないか?との疑いを捨てきることはできないと感じます。
緒方洪庵なら、現代の医師の選抜や養成システムよりもキューバをはじめとする旧共産圏の医師の選抜、養成システムをよしとしたのではないか?とわたしにはそう思えてなりません。
社会がいかなる基準でエリートを選抜し、養成するかは、当該社会を隆盛に導くこともあれば、衰退に導いてしまうこともあるでしょう。日本におけるエリートの選抜と養成のシステムは根本的な見直しが必要なのではないか?とわたしは思いますが、読者のみなさんはいかがお考えになられますでしょうか?
(了)
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ケーキより好きな圧力を集めたサイト♪
チコさんハウスに新しく設置したコットンパーチ。
設置してすぐはカラフルな太いロープ状のものが自分のお家にいきなり現れたってことで
ビビってか全く乗ってくれなくて心配だったんですが、
その日のうちに慣れていつの間にか乗ってくれるように(´∀`)
「これなかなかいいじゃね〜か!」と言わんばかりに
切れ長な目で満足げな表情のチコさん。
メスは目が丸いのに対し、オスはアーモンド型で切れ長なのでやっぱりオスですね( ̄▽ ̄)
ケージ内がパッと明るくなって小鳥飼いさんにおすすめです♫
水菜を食べ散らかし中のチコさん。
青菜系は水菜の他に、小松菜やチンゲン菜などを与えています。
爪が伸びてきたので、爪切りもしなきゃと考えているところです。。(・∀・;)
好き放題食べ散らかしたて、やんちゃ坊主なチコさん
チコ「食べてる時に開けてんじゃね〜よ!!」
ちょいワル期間のチコさんですが、いつも人のどこかに止まってウトウト。。。
なんだかんだで甘えん坊なんですかね。。(;^_^A
涼しくなったら、母の元へ連れて行こうと思ってるので、
チコさんとの最後の夏を楽しみたいと思います♪
(母へのプレゼントの文鳥なんですが、落ち着くまで飼ってと言われてるので。)
そういえば、最近テレビであってたバケモノの子に出てくる
白い妖精みたいな生き物の名前も「チコ」だったらしく娘が喜んでました(〃∇〃)
そして初日に購入したFITH社のストローHATも届いてます♪
手持ちのお洋服とも相性よさそうで、よかった♪
わが家の子ども部屋、狭い上に
クローゼットもチェストもないので、子供服はかけて収納するしかない状態で。。
使ってるコートハンガーはsarasa design storeさんのもの♪
子供たちの衣類などの収納に関しては今後も見直していく予定です。
70%OFF 50%OFF 30%OFF
ウィークリータイムセール品も要チェックです!!
とりあえずサイズが心配だったので開封後すぐに娘の頭に乗っけてみたんですが、
54cmにしたのでゆとりはあるもののたぶん大丈夫そう(;^_^A
もっと真っ白と思ってたら、絶妙なクリーム色で定番の麦わら色より個人的に好みで嬉しい誤算でした(〃∇〃)
Mサイズなら在庫あり♪
定番カラーもセールで各1個ずつですが、まだ残ってますね↓
Mサイズ Lサイズ
定価じゃ到底買えないので、半額で購入できて満足のお買い物でした♪
着画が撮れればまたブログでご紹介したいと思います。
++++++++++++++++
さてさて、お買い物マラソンも残りわずかになりましたね><
前回がすごく長かったのでなんとも短く感じます。。
無事に完走したので、最終ポチレポお付き合い頂ければと思います(/ω\)
↓
↓
+++ PRO SHOP SUNCABIN +++
今年は子供たちとのラグビー対決があって、
ママたちのオソロTEEを着るので、日焼けと怪我対策で
こちらのアームカバーをつけることにしました↓
他店よりお得な価格で助かります( ´艸`)
+++ +++
旦那さん用のスカルプシャンプー(*´ω`*)
次回でもいいかなと思ったんですが、夏場は頭皮も汚れやすいし、
ポイント15倍やってなかったらイヤなので今回ポチすることに↓
すごくお気に入りだったので喜んでくれるはず♪
頭皮がすっきりするみたい( ´艸`)
1本で3ヶ月はもつので、良ければ継続して使っていこうと思います。
+++ +++
以前お試しさせて頂いてとっても可愛かったので
来年用にリピポチしました↓
170cmママサイズまであるのでおソロもできますね(´∀`)
持ってない色にしようと思ったけど、娘サイズがあれよあれよという間に売り切れて。。
結局ブラックにしたけど、値下がりしてたので即決です。
身長123cmくらいで130着用。
マキシ丈で着用したい場合は普段のお洋服のワンサイズ上で買うといいようですね♪
くすみカラーのノースリワンピも可愛いですね↓
予算オーバーなのでこちらは見送り。。
てことで、少しだけオーバランして今回も無事に完走しました♪
今回は超大物を購入したので、余計なものは買わないようにおとなしめに。。(;^_^A
大物買ってるので楽天SPUもなるべくクリアしたいとこですが。。
ブランドアベニューさんでセール品物色してみようかな?(´∀`)
かかとケアソックスも買いたかったのに、グレーが売り切れてて><
在庫復活したらポチしたいけど、無理そうかな?
再入荷のお知らせ登録しました(^_^;)
ずっと売り切れてたけど在庫復活で迷い中のこちら↓
煮込み系などに使うなら十分そうですよね。
レビューもいいので気になります♪
雑誌でおすすめされていた靴磨き↓
昔からあるスポンジタイプで、使いたい時にサッと使えて便利ですよね♪
ピカピカになるらしく、レビューも高評価なところばかりなので次回ポチ候補!
本日22時から明太子がタイムセール↓
スーパーとかだとこの金額より高いのに、美味しくなくて。。
うまみ堂さんの明太子もお試しさせてもらってからお気に入り。
これも冷凍させてて、明太パスタなどに大活躍させてます♪
なくなったらリピ予定です!
大人顔負けの本格MA−1が半額↓
子供用だけどかっこいい!!
前回の買いまわりで買った大人気のもち麦↓
コンビニとかのもち麦おにぎりは食べてたけど、
自分で作るのははじめてで。。
いつもどおりに炊飯の準備をしたお米に、好きな配合でもち麦と水を加えていつもどおりに炊くだけなので簡単!
私はダイエット効果が期待できる5割配合で、炊飯ジャーがないので圧力鍋で炊いてます。
そして、できたもち麦ごはんはとっても
美味しかった(///∇//)
想像以上の美味しさに、もち麦生活続けようと思ったのでした♪
また、改めて記事にできたらと思ってます!
てことで、今度は送料無料のセットをリピポチしようと思います↓
お手頃価格なのに美味しいのは嬉しい(*´ω`*)
高評価の人気商品なのも納得です♪
タイガーの人気の水筒もブラックが再入荷↓
同じくタイガーのものを使ってますが、
丈夫だし、手をつっこんで洗えるので使いやすいですよ♪
今日はスコープさんの祭り開催日ですね↓
ムーミンの日限定マグ!!!
激戦が予想されてるみたいですね。。
予算的に私は参戦できそうにありませんが(TωT)
どうせ買うならプチバグのこのタオルもおすすめですよ↓
ラグビー合宿にも持っていたんですが、さわやかなデザインで可愛かったです♪
ポッキリ価格でマラソンにぴったりのハンドクリーム↓
ミツロウやハチミツなど天然成分のみで作られていて子供にも使えそうで
ポチ予定でしたが、急ぎではないので次回に。。
ハンドクリームだけど、ハチミツ入りだしリップバームとしても使ってみたい!
ラスト5時間水ピカ最安値!!!
ラスト5時間30%OFF
一度試してみたい♪
100円ポッキリ本もこれから吟味します。。(;´▽`A“
店舗稼ぎにプチプラ&ポッキリなどなど。。
今回のお買い物マラソン記事まとめ
こちらもよかったら参考にしてください。
ではではー!!!
携帯だけの激安、圧力のお買い得情報などをお届け!
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毎年この季節になるとネットでも総理が靖国を参拝するかどうかが話題になる。マスコミが行くことを問題にするのに対し、ネットには行かないことを問題視する人たちもいる。靖国参拝が踏み絵になっているのはどちらも同じなのである。
実際のところ、安倍総理は第一次政権時も含めると7年近い任期の間で一度しか参拝していない。それも終戦の日でも例大祭でもない暮れも押し詰まった12月26日(2013年)だった。
だから、終戦の日に総理として参拝したことは一度もない。
そして、今年も玉串料を奉納したものの、参拝は見送った。
しかし、「本当は行きたい」との意思は明確にしている。
【終戦の日】
安倍晋三首相が靖国神社に玉串料 終戦の日に6年連続 小泉進次郎氏らは参拝
産経 2018.8.15 09:27
安倍晋三首相は終戦の日の15日、東京・九段北の靖国神社に自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。首相は参拝せず、柴山昌彦総裁特別補佐が神社を訪れ、代わりに納めた。平成25年の終戦の日から6年連続で同様の対応となった。
柴山氏は記者団に、首相から「先人たちの御霊にしっかりとお参りをしてください。参拝に行けず、申し訳ない」と指示があったことを明らかにした。
(以下略)
今年は閣僚の参拝もゼロのようで、テレビも新聞も静かだ。米中貿易戦争が顕在化している中で、政府も親中マスコミもここで日中関係に波風を立てたくないと考えているのだろう。
しかし、安倍総理を支持する人の中にはこんな声もある。
田母神俊雄@toshio_tamogami
終戦記念日です。総理の靖国参拝は今年も実現しないようです。これが出来ない内は、日本は圧力をかければ必ず要求を呑む国と判断されます。諸外国や政権与党や野党の政治家も安倍総理は強く要求すれば必ずこれおを受け入れると思うことでしょう。総理の靖国参拝は総理の日本を取り戻す意思の象徴です。
6:56 – 2018年8月15日
言いたいことは分かる気もするが、この主張には同意できない。
安倍総理はいまや世界の首脳から一目置かれる存在だし、中国や韓国に圧力をかけられて要求を飲まされた事実もない。性急な成果を求める人には歯がゆいかもしれないが、民主党政権での失地を少しづつ、しかし確実に回復しつつある。
そして「靖国参拝は総理の日本を取り戻す意思の象徴」は田母神氏の主観でしかない。
自分で設定した踏み絵を提示するという点では、主張は逆でも朝日新聞や特亜各国とやっていることは同じだと言わざるを得ない。
さて、総理時代の麻生さんは靖国に関して次のように語っている。
麻生太郎 2009年8月10日 靖国神社参拝に関して
僕は靖国というものは、少なくとも、国家のために尊い命を捧げた人たちを、政争の具とか、選挙の騒ぎとか、新聞のネタにするのは間違ってると思ってます。あれはもっとも政治とかマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものです。もっと静かに祈る場所です。それが答えです。」
靖国参拝を政争の具としてはならないと言っている。
そして、麻生総理は任期中に参拝することはなかった。いや、あのような異様な政治状況の中で参拝することは出来なかったのだ。
「政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべき」とは全く逆の環境のなか、内閣支持率が低迷している麻生総理にそれを押しのけて参拝するほどの政治的エネルギーはなかった。
与党内にも反対論がある中では口で言うほど簡単なことではないのである。
安倍総理は2013年に「国民との約束なので決断した」と述べて参拝したが、当時はNHK世論調査で50%を超える支持率を維持していた。この時はそのせいで支持率が低下することはなかったが、マスコミ世論の力はまだまだあなどれないのだ。
実際、その後は消費増税、安保法制、モリカケ報道テロなど次々と政治的エネルギーを消費する中で参拝する機会は訪れなかったのである。その気持ちを安倍総理は「参拝に行けず、申し訳ない」との表現で先人たちの御霊と参拝を期待する人たちに伝えたかったのだろう。
また、いまは米中貿易戦争の真っ最中だ。いまや世界のリーダーに信頼される存在となった安倍総理には調整役も期待されている。トランプ大統領のように振る舞ってくれたらこちらはさぞかし気分はスッキリすると思うが、それは安倍総理の政治手法とは全く違う。
そもそも、軍事的な優位を保ち、日本の首相とは比べ物にならない権限を持っているトランプ大統領のようにはいかないのだ。
しかし、そのなかで成果を積み重ね外国首脳との信頼関係も築き上げてきた。
安倍総理は靖国神社には代理を派遣したが、全国戦没者追悼式に出席し千鳥ケ淵戦没者墓苑にも参拝している。いまできる精一杯のことをしているのだ。残念ながら、総理がその気になりさえすればいつでも行ける状況にはまだなっていないのである。
戦後レジームからの脱却は道半ば。
誰もがいつでも参拝できる世の中に早くしたいと思うが、靖国を踏み絵にすることには違和感がある。
(以上)
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圧力 関連ツイート
活動は総ての子ども、学校、行事、教員のために寄付行為などで貢献。
全体主義的圧力や学校現場で子どものを…