独学で極める本丸
徐裕行の震災援助の背後には、後藤組組長・後藤忠政の存在があった。
疑惑の殺人鬼・徐に手を貸した後藤組長とはどんな人物なのだろうか?
後藤忠政(本名:後藤忠正)。
1942年9月16日、東京府東京市荏原区に4人兄弟の末っ子として出生。
祖父は富士川発電や伊豆箱根鉄道を興した実業家の後藤幸正であった。母親は後藤が2歳の頃に列車事故で死亡。同時期に戦争の激化により、父の実家がある静岡県富士宮市に疎開して以降、同地で育つ。幼少期はよく父や兄に暴行され、喧嘩をしながら過ごしてきたという。
後藤が中学を卒業した1958年、父後藤和吉が死亡(享年61)。
親戚の縁故で旅館「小松家」の番頭をするが続かず、土方や工場も身にあわず職を転々とする。
兄弟が就職で離れ離れとなり孤独となった後藤は愚連隊に居場所を求め、恐喝を度々繰り返したという。
1969年、暴力団・川内組若頭補佐兼静岡支部長を経て、富士宮市に暴力団・後藤組を結成して組長となる。川内弘は福井県に拠点を置く暴力団組長で「北陸の帝王」の異名を持っていた。川内は菅谷組組長であり三代目山口組若頭補佐であったボンノこと菅谷政雄組長の舎弟であった。
後藤組はその後、静岡県における山口組勢力拡大の嚆矢となった。
1977年、川内組の川内弘組長の直参昇格を巡って菅谷組内部で対立が発生。4月、菅谷の部下が川内弘を三国町の喫茶店で射殺する事件が起きる。この件で菅谷政雄は山口組から絶縁される。
親分が殺され上部団体が絶縁となった後藤は、縁あって静岡県浜松市の伊堂組(伊堂敏雄組長)の舎弟となる。
1983年3月、富士宮市内のパチンコ店に後藤の手下である柏木一身が乗り込み、日本刀で経営者の顔を切りつける事件が発生。翌年にも別の幹部がみかじめ料をめぐってパチンコ店主の顔を切りつけたり、ダンプカーで店を破壊する事件を起こす。
1984年7月、竹中正久を組長とする四代目山口組が発足すると伊堂組長は引退。後藤は地盤を引き継いで四代目山口組直参に昇格した。
伊堂は山口組が一和会と分裂した1984年6月に引退。
竹中正久が山口組四代目組長に就くと後藤も山口組直系組長として末席に連なることが許されるようになった。
1985年1月、竹中組長が一和会の構成員に射殺されると山口組と一和会の間で『山一抗争』が勃発した。後藤は一和会の報復に参加し、同年5月に後藤組の構成員、池田満の組員ら3人がダイナマイトを持参してダンプカーに乗りつけ、そのまま神戸市内の一和会会長・山本広の自宅に突入した。ダンプは警察が設置した車止めを押し倒し、電柱にぶつかって動かなくなった。ダンプから現れた組員は、拳銃を所持しており、すぐに機動隊員と銃撃戦を繰り広げた。死者は出なかったが、組員一人が機動隊員に左肩を撃たれ負傷している。
一和会を直接攻撃するのは失敗した。しかし、警察が固めていようと敵の本丸に突入する後藤の戦意は山口組内部で評価され、この頃から後藤組は”東海道の暴れん坊”、”武闘派”と呼ばれるようになった。
4月14日、一和会副幹事長吉田好延が国鉄三ノ宮駅前の交差点で停車中に、後藤組幹部の佐藤明義に38口径の拳銃で4発の銃撃を受けた。吉田は無事だったものの、同乗していた組員2人が窓ガラスの破片で負傷した。
同年、神戸市内でユニバーシアード大会が開催され、台覧試合が行われた。
この影響で山口組と一和会は石井隆匡、中井一夫などの仲介により1985年7月末から9月末まで2か月間休戦状態となった。
糸山英太郎襲撃事件
幼少時代は苛めを受け3回転校を繰り返す。転校先の喧嘩に勝ったことで不良になり、中学から大学まで暴力に明け暮れる。恐喝事件を起こし、大塚警察署に告訴されるも検事の温情により起訴猶予となる。大学中退後は心機一転し、中古車のセールスマンに就職。成績が良かったことから1年で独立するも失敗し、父親に泣きつき、新日本観光に転職。
父親の佐々木真太郎は”ゴルフ場王”と呼ばれ、田中角栄、金丸信、安倍晋太郎といった大物や、笹川良一、山口組3代目田岡一雄の長男田岡演とも接点があった。
糸山はゴルフ場の経営で実績を上げ、父親と親しかった笹川良一の親族と結婚。資金的にも恵まれるようになり、政界、投資にも進出。後の総理大臣・中曽根康弘の秘書を経て、1974年(昭和49年)、石原慎太郎の後押しにより自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区出馬、32歳で参議院議員に初当選する。竹下内閣では外務委員長の要職に就く。
1985年12月暮れ、糸山は新高輪プリンスホテルで選挙資金集めパーティーを計画。
この資金めパーティーに無理矢理協力を押し付けられた関西のある一部上場大手建設会社が、ツテを辿って新右翼活動家・野村秋介に相談。野村はこのパーティーを潰すことを企画し、稲川会、住吉連合会、山口組の組員らにパーティー券を配布。野村と親密だった後藤組には100枚の券が配られる。
暴力団員が大挙するのを知った糸山は警察を動員。しかし警備はうまくいかず、後藤と野村秋介が現れ糸山に直接抗議を行った。これに対し糸山はバックの笹川良一の名をちらつかせ、二人の怒りを増幅させた。
1986年6月17日、埼玉県秩父市の市民会館で糸山が総決起大会を開いていたところを後藤組傘下の良知組構成員二人がナイフで襲撃。糸山は左腕に一週間のけがを負い、犯人は現行犯逮捕された。
1987年、後藤は東京都新宿区に不動産会社「エム・プランニング」を設立、新宿、渋谷に事業を展開させる。
1988年、後藤組員が警備のパトカーに発砲、警官に重傷を負わせる。
同年、『山一抗争』が終結。
日本共産党と後藤組
1989年、日本共産党への政治献金が明るみに出て東京、埼玉の右翼から街宣車攻撃を受けていた「地産グループ」(竹井博友が総帥)の攻防に介入し、右翼団体を排除する腕力を発揮。
(1991年、「地産グループ」から10億円の迂回融資を受けた疑いで東京地検から事情聴取を受ける。)
渡辺芳則を組長とする五代目山口組では、後藤は山口組東京進出の先兵となり勢力拡大に寄与した。
この頃までに後藤組は首都圏のほか、北海道、岩手、福島、埼玉、熊本まで十二都道府県に30以上の傘下団体を持つようになった。
1990年2月、当時山口組若頭だった宅見勝率いる宅見組構成員2人が二率会の組員により射殺される事件が起きる。この報復で山口組、後藤組は八王子へ進出し、20回近くカチコミ(建物にめがけて拳銃を発砲すること)を繰り返す「八王子抗争
を起こした。
ニ率会を平伏させると、後藤はニ率会構成員を吸収して同地域に後藤組正東会を作らせた。
会長には古橋勝利(後に後藤組舎弟頭補佐)を置いた。
溝口敦襲撃事件
同年5月、後藤はジャーナリストの溝口敦を西新宿の事務所に呼びつけた。
当時、溝口はスポーツ紙に山口組の記事を連載していた。溝口は過去に後藤にインタビューをしており、後藤は溝口に「うちはマフィア化するね。若い者なんかヤクザ登録しないで、表向き組とのつながりを切った形で企業舎弟に仕立て上げていく。だけどオレはやつらに儲けはさせない。ヒモをぐっと引いて儲けを吐き出させる」と、自身を鵜飼いに例えながら語っていた。
そんな後藤が溝口を呼びつけた理由は、溝口が刊行しようと準備していた『五代目山口組』にクレームを伝えようとしていたためである。
後藤「山口組のオレの仲間があんたを問題にしている。ハネっ返りも2、3いることだし、あんたにケガをさせたくもない。オレはあんたを知らんわけじゃないから、こうして問に入ったわけだが、どうだろう。今後、山口組のことを書くに当たっては事前に原稿をオレに見せてくれないか」
溝口は摩擦を避けるため妥協するつもりだったが、2日後に後藤は頭から「出版を中止してほしい」と電話で伝えて来た。
溝口「中止したら、ライターとして物笑いのタネになる。どうあっても中止だけはのめない」
6月末、溝口は「五代目山口組」を刊行した。
同年8月末、高田馬場で男に左背を深さ10センチ、幅5センチにわたって刺され、東京女子医大に搬送された。犯人は逮捕されず、公訴時効が成立した。
後藤組、上九一色村で事件を起こす
1992年11月、静岡県知事に無届けで土地を売却した国土利用法計画法違反容疑で後藤組幹部が経営する金融不動産業「エム・プランニング」=新宿区西新宿6=が摘発される。
逮捕されたのは後藤組内鴻池組組長の鴻池隆(当時45)=静岡県浜松市布橋=、後藤組内勝政会会長・佐野勝政(当時50)=富士宮市松本69-20=ら5人と、千代田区麹町の不動産会社「愛時資」副社長、橘田幸俊(当時36)=渋谷区代々木5=ら同社役員2人。
「エム・プランニング」は山梨県内のゴルフ場の隣接地を購入価格の10倍でゴルフ場開発会社に買い取らせ、約6億円の利益を上げたとされる。
他でも動揺の手口で買い取りを迫り、応じない場合は隣接地に豚小屋を建てたり、廃油をまくなどのいやがらせをする。応じた場合は建設工事を請け負う。こうして豊富な資金源を増やした。関係者によると、直系組長は通常月額、80~100万円の上納金を納めるところを、後藤組の上納金は破格の数千万円に上ることもあったという。
伊丹十三襲撃事件
1992年5月22日、暴力団を描いた映画『ミンボーの女』の監督伊丹十三を後藤組組員5人が襲撃。
犯行は現場は世田谷区内の伊丹さん宅前の駐車場で発生。伊丹監督はカッターナイフで切りつけられ、顔や両腕に全治3カ月の重傷を負った(病院に搬送された際に取材陣から「大丈夫ですか!?」と声をかけられて、声こそ出なかったもののピースサインで応えた)。後日伊丹監督は「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。
警察は現場の車より後藤組の犯行であることを突き止め、12月3日、後藤組本部長・池田満(当時36)、幹部柏木一身(42)、後藤組内石川組幹部、三国孝男(43)ら5人が傷害容疑で逮捕された。
5人は同月末に全員起訴され、その後、懲役4~6年の実刑判決を受けた。
翌4日、後藤組本部事務所、後藤忠政宅、不動産業「エム・プランニング」など約10カ所で捜査員270人、装甲車30台を動員し家宅捜索が行われる。
後藤組事務所には闘犬の他クマも飼育されていたため麻酔銃が用意された。
(毎日新聞92年12月4日東京夕刊より)
92年12月25日
警察庁は13都道府県の刑事部長を集め、東京・半蔵門会館で指定暴力団後藤組に対する「集中取締推進会議」を開いた。会議の冒頭、国松考次刑事局長は後藤組を来年の最重要取り締まり対象とすることをなどを支持した。
(国松考次氏…警察長官狙撃事件で負傷)
その後も1993年5月には自称右翼の男が伊丹監督作品『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起き、伊丹への嫌がらせが耐えなかったという。
この事件で後藤忠政組長は次のように懐述している。
「あの事件では、俺もそれこそいろんなところから、いろんなことを言われた。けれど俺自身初めはウチの若い衆がやったということ自体、知らなかったんだ。ただあの監督がやられたと聞いて、「おお、ヤクザにもちゃんとしたプライドを持ってる奴がいるじゃないか」と思った事は間違いないな。
ヤクザである限り、極道の代紋掲げている限り、あの映画『ミンボーの女』を見て不愉快にならんかった者は当時、一人もいなかったはずだ。そう感じないヤクザがいたら、どの顔(つら)下げてヤクザやってるのか見たかったぐらいだ。
ここまで公衆の面前で、映画という公のメディアで馬鹿にされて、面子潰されて、それでもケジメを取らないならヤクザじゃないと思ってたよ。この映画が公開される1か月前に暴対法が施行されたから、この映画は暴対法のPR映画みたいなもんだった。
この監督がサツの露払いをするのは勝手だが、それにしちゃあ、あまりにもヤクザを馬鹿にした、おちょくったような映画作ってくれるじゃないか、と。
おまけに警察庁の幹部なんかがこの映画を見て、マスコミとかで絶賛して、この監督はこの監督で、記者会見で「この映画で、私はヤクザに喧嘩を売ったんです」とか言ってたんだ。
そんな時に起きたのがあの襲撃事件だ。別に命まで奪った訳けじゃないし、「どこの組の奴か知らねえが、粋なことをやってくれるじゃないか」と。「どこの組か分かったら、差し入れでもしきゃな」と最初は思っていたくらいだ。で、俺の中ではそれで事件の事はスッキリと終わってたんだが、半年たってウチの若い衆が捕まって「え―っ、ウチだったの!」ってなってな。
イザ自分の組の話になると、頭が痛いなぁ、と。警察にはこれまで以上に徹底的にやられるだろうし、マスコミや一般社会からも非難囂々(ごうごう)だろうし、若い衆に弁護士つけてやらなきゃいかんし、起訴されたら徴役長いだろうし、その間、家族の面倒は見てやらなきゃいかんし・・・「えらいこっちゃなあ」って。それまで他人事のように見てた襲撃事件が、いきなり自分の組の話になったもんだから
これはキツかったな。
けど、襲撃した若い衆に対して、「面倒起こしてくれたな」なんてこれっぽっちも思わなかったよ。さっきも言ったようにヤクザとしてのプライドを持っているものなら、誰がやってもおかしくないと思ってたから。
捕まった5人は佐野逸雄―富士連合会会長の所の若い衆だ。中でも主犯の池田 満・当時後藤組本部長補佐は、山一抗争の時に山本広一和会会長宅にダンプカーで突っ込んで警察と撃ち合った男だ。それが一年ぐらい前に刑務所から出てきて伊丹十三襲撃事件で又刑務所に行くことになった。
この池田と言う男は腹が据わってたよ。案の定一般社会じゃ非難囂々だったけど、ヤクザの社会では拍手喝さいだったんだ。」
(伊丹は1997年に投身自殺をしているが、この自殺にも後藤組が関与していた、という説がある。)
1993年6月、建設会社に労働者を派遣させ、労働者派遣法違反容疑で後藤組員6人が逮捕。
1997年10月31日
ニセの賃貸契約署などで入札事務を遅らせたとして、競売妨害の疑いで後藤組幹部で右翼団体代表、松本英也(38)ら3人を逮捕。調べによると95年9月、倒産した八潮市内の建築資材会社の土地建物(約900平方メートル)について、現状調査に訪れた浦和地裁執行官に、「契約書を交わして政治結社などに転貸借している」などとニセの契約書を提示。自分が代表の右翼団体の看板を出したり、敷地内に凱旋車を止めたりして入札を妨害した疑い。
1997年12月31日
午前4時頃、埼玉県草加市氷川町で7、8発の銃声があったと住民から届け出があり、住吉会浅草高橋組草加事務所の東側窓ガラス2枚13カ所に銃弾が撃ち込まれていたのが確認される。
同5時半頃、同県三郷市三郷のマンション4階にある後藤組内浜脇組幹部の自宅ドアに8発の銃弾が撃ち込まれているのを、巡回中の吉川署員が発見する。
銃器取引
1998年6月15日、旧住宅金融専門会社の大口融資先の一つエスケージー(旧振興開発、本社宮城県松島町)所有ビルなどに政治結社「天妙会」が機関銃など多数の銃器を隠し持っていた事件で、短銃の一部が後藤組から流れた疑いが強まり、埼玉、東京、宮城などで後藤組事務所など20数カ所を一斉捜査、短銃3丁と実弾10数発を押収。信岡幸典(当時50)、高尾作一(当時48)、長岡栄司(当時32)を逮捕。
プロ野球巨人と後藤組
1999年10月15日、自動車販売のナンバーを不正取得したなどとして、電磁的公正証書原本不実記録・供用の疑いで自走社販売会社「パパイエノール(東京都渋谷区鉢山)」社長、村田和隆(当時39)を逮捕。同社は後藤組のフロント企業とみられ、プロ野球巨人軍の内野守備コーチ、篠塚利夫氏が代表取締役を務めており、警視庁は篠塚宅など30カ所を捜索した。同日午後6時前から東京間だの球団事務所で記者会見した篠塚コーチは「疑惑が持たれたことに関して、球団やファンの皆さまにおわびしたい」と陳謝。その上で「暴力団がかかわっているとは知らなかった」と交際を否定した。
この事件で山室寛之球団長が篠塚コーチに事情を聴いたうえで厳重注意処分とした。その後コミッショナー事務所、セリーグ事務局などを訪ね、事件の経緯を説明し、巨人の最高決定機関「最高経営会議」メンバーである読売新聞社の水上健也会長に報告。渡辺恒夫オーナー、長嶋茂雄監督の了解を得て、篠塚コーチに年内謹慎処分を科し、23日から始まる秋季練習、26日からの宮崎キャンプ、球団公式行事に参加させないことを決めた。
日本航空(JAL)と後藤組の黒い闇
1999年2月
日本航空の株百万株が後藤組の組長名義に書き換えられていたことが社内で明らかとなった。
当時、日航の発行済み株式は約17億7千8百万株。組長名義の株はそのうちの0.056%にすぎなかったが、個人株主では第2位に躍り出たうえ、総会での議案提出権を持つ立場になった。
日本航空は以前からヤミ社会との接点を保ち続けていた。
98年8月、過去3年にわたつて植木のリース料目的で総会屋に約2千2百万円の利益給与をしていたとして、日本航空の前職員ら3人が警視庁に書類送検された。さらに99年4月、東京国税局の税務調査で、国内路線を割引料金で利用できる株主優待割引券や換金した現金を多数の暴力団関係者らに提供した事実が発覚し華やかなイメージとは裏腹の企業体質が浮かび上がった。
99年6月23日
総会直前の日に当時顧問で元社長宅の自宅玄関前に銃弾が撃ち込まれた跡が見つかる。
同月29日、日航の株主総会に過去10年で最多の1400人が出席、「広島グループ」を率いる総会屋の小川薫が発言するなど不穏な空気に包まれた。会場に後藤の姿はなかった。
2000年4月26日
後藤忠政組長に名義変更された日本航空株の売買を無免許で仲介したなどとして、警視庁と静岡県警の合同捜査本部は証券取引法違反と詐欺の疑いで、金融業「クライム」社長、榎本佳晃(当時55)=川崎市多摩区東生田=ら3人を逮捕した。
2001年10月24日
飲食店への入店を断られた腹いせに店員に暴行をしたとして、警視庁捜査四課と麻布署は集団暴行・脅迫の疑いで後藤組幹部の松本英也(当時42)ら2人を逮捕した。調べによると松本は同年6月上旬、港区六本木のクラブへの入店を満席を理由に断られた事に立腹、店の男性マネージャー(当時34)を店外に呼びつけて土下座させた上、乗用車のドアを勢いよく開けてマネージャーの肩にぶつけるなどし、さらに「店をすぐにつぶしてやる」などと脅した疑い。
2002年7月
後藤は五代目山口組若頭補佐に起用されて執行部入り、2005年に六代目山口組が発足すると六代目山口組舎弟に直った。
真珠宮ビル不正登記・殺人事件
2005年頃、東京都渋谷区代々木2丁目の雑居ビル「真珠宮(しんじゅく)ビル」の所有権を巡り、同ビル管理会社顧問の野崎和興さん(当時58)と後藤組との間でトラブルが起きた。
ビルはJR新宿駅南口近くの好立地にあったが、所有権が複雑化しており、野崎さんはフロン
ト企業との交渉役として、トラブルの矢面に立っていた。
後藤組系組長、松本英也は配下の近藤毅組員らに、野崎さんの監視を指示、監視カメラを搭載したバイクで野崎さんの監視1年近く続けた。
同年年2月28日、「菱和ライフクリエイト(現:クレアスライフ)」と「フェニックス・トラスト」が「真珠宮ビル」の売買契約を解除し、所有権を後藤組組長である後藤忠政の資産管理会社に不正に移転。
2006年3月5日夜、野崎和興さんが近藤毅組員に背、中などを刃物で刺され殺害された。近藤松本英也の支援により国外逃亡した。
同年5月8日、警視庁は
電磁的公正証書不実記録容疑などで後藤忠政ら13人を逮捕した。計5人が起訴され、3人(後藤忠政・金融業者・フェニックス・トラスト実質経営者)に有罪判決、2人(菱和ライフクリエイト経営者・仲介者)に無罪判決が確定した。
後藤は懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を受けた。この事件で遺族らは司忍六代目と後藤らを相手に損害賠償請求を起こした。
2010年12月3日、現場から逃走する車の運転手役を担当した後藤組の男を逮捕。2011年5月31日に東京地裁の裁判員裁判で運転手役の男に懲役13年の有罪判決が言い渡され、確定した。
2011年4月26日、国外逃亡していた近藤毅がタイ北部のチェンライ山中で射殺された。
射殺したタイ人ガイドによれば「トラブルになり近藤元組員に発砲 され銃撃戦になった」と主張。しかし遺体の状況から背後から一方的に撃たれた可能性が高いという。
2012年10月、後藤が遺族に計1億1,000万円を支払い哀悼の意を表す等の条件で和解した。
除籍
2008年9月、後藤は病気を理由に総本部での定例会を欠席したにもかかわらず、芸能人らを集めて誕生日を祝うゴルフコンペを開く。翌月マスコミの報道(週刊新潮08年10月9日号)で発覚し、「除籍処分」を受け表面上引退した。
参加者は細川たかし(58)、小林旭(69)、松原のぶえ(47)、角川博(54)、中条きよし(62)ら5人の歌手が出席。このことが大々的に報道され、NHKは今月6日、5人を同局のすべてのテレビ、ラジオ番組への出演を当面の間、見合わせることを決めた。
後藤は以前も体調不良を理由に定例会をたびたび欠席していおり、除籍は執行部が激怒したことが原因だとされている。しかし、関係者によると、除籍は、制裁である「破門」「除名」と違い、本人からの申し出を組織側が了承することが一般的という。
この処分に異を唱えた直参(浅川桂次・浅川会会長、井奥文夫・井奥会会長、小野守利・六代目奥州会津角定一家総長、奈須幸則・三代目大門会会長、川崎昌彦・二代目一心会会長、佐川睦男・二代目浅川一家総長、大田守正・大田興業組長)といった直系組長7人も後藤に連座して絶縁・除籍・謹慎などの処分を受けた。
後藤組若頭だった良知組組長・良知政志と後藤組総本部長だった藤友会会長・塚本修正が後藤組の地盤を継承して六代目山口組の直参に昇格している。
引退後
2009年4月8日
神奈川県伊勢原市の天台宗の寺院・無常山浄発願寺で得度、法名・忠叡を名乗る。
「お坊さんの顔」だというが…
袴田事件と後藤
引退後、後藤は地元で起こった事件だったために気にかけていた袴田事件を題材として私費3億円を投じ、映画『BOX 袴田事件 命とは』を企画、2010年に公開された。
袴田氏の援助には鈴木邦男、徐裕行も支持している。
同年に自らの半生を語り下ろした自叙伝『憚りながら』(宝島社)を出版、後藤組と創価学会の関係について明らかにしたことなどが話題を呼び、20万部を超えるベストセラーとなった。本書の印税は、2010年10月20日に「アンコール障害者協会」(Angkor Association for the Disabled=AAD’)ならびにミャンマーのチャイカロット・パリヤティセンター&モゴック・ビパサーナ僧院に全額寄付された。2011年には新章「東日本大震災と日本人」を加えて文庫化。
この文庫版の印税でボランティア組織「G–rise日本」を設立し、福島第一原子力発電所事故で陸の孤島と化した地域へ支援物質を運搬したとされる。(組織の副会長が徐裕行。)
2011年頃よりカンボジアに移住し、プノンペンの高級マンションに居住。カンボジアでは養鶏場経営などの実業を手掛けるとともに学校建設などの活動も行っており、2012年末にはカンボジア国籍を取得し、伯爵に相当する『アジャ』の称号を授与されアジャ忠叡を名乗る。カンボジア政府高官に人脈を築いて、国会議員を目指すことも考えているという。
創価学会と後藤組
後藤組と関係の深い作家、山平重樹の「ドキュメント野村秋介」によればおおむね次のようなことがあったという。
「創価学会は80年、大石寺近くに5万基の大霊園を造ったが、周辺も含めて用地買収、建設に当たって合法的なことばかりでは済まされず、裏の汚れた役割に後藤組を使った」「成果をあげた後には後藤組組員の服役だけが残った。が、学会から返事がない。それから学会に対する闘いが始まった。新右翼・野村秋介氏が支援に回り共闘が始まる。散弾銃、火炎瓶、短銃、雑誌でのキャンペーン……」
創価と後藤組の関係は1970年代まで遡る。日蓮正宗の信徒集団だった創価学会はかつて、後藤組の地元、静岡県富士宮市の「大石寺」を総本山としていたが、70年ごろから大石寺周辺の土地を買い漁り、境内を拡張。72年には大本堂「正本堂」を建立し、73年からは正本堂近くの広大な敷地に墓苑「富士桜自然墓地公園」の建設を始めるなど(80年完成)大規模な造成を行った。
後藤組長が著した「憚りながら」によると、次の話がある。
「当時、大石寺絡みの土地売買や建設工事で、富士宮に流れ込んだ金は莫大だったんだ。大本堂で300億円、富士桜(自然墓地公園)で200億円、その周りの土地を買うのに数百億円といった具合に、全部で1000億円近くになったんじゃないか」
ところが当時、後藤とも懇意だった地元市議が経営する建設会社「日原造園」が「富士桜自然墓地公園」の利権を独占していたため、他の業者から不満があり、日原と後藤組との関係を指摘するビラがまかれた。そして1977年10月、後藤組幹部がこのビラをまいた住民宅に、大型ブルドーザーで突入し、ブロック塀を10mにわたって破壊、さらに自宅に上がり込み、その住民を日本刀で切りつけ、左腕や背中、顔にに2ヶ月の怪我を負わせ、翌日、襲撃犯は殺人未遂の容疑で逮捕された。
後藤によると、「この事件でウチの若い衆は(懲役)6年食らったんだけど、実は日原の後ろにはあの「山崎正友」がいたんだ。日原と山崎は、それこそ二人三脚で富士桜を進めていたわけだ」(前出「憚りながら」より)。
山崎は当時、創価学会の顧問弁護士で、池田大作の”お庭版”であると同時に、学会の暗部を取り仕切っていたといわれている。
後藤によると「学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしていた」という。
「大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな。それが(富士宮市)議会で問題になったり、道路法違反で池田大作が告発されたりしたんだよ」。
さらに富士宮しないでは、学会と日原の癒着を追
する「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」が結成され、学会に対する大規模な反対運動が起こったのだが、その反対運動潰しに学会が使ったのが後藤組だった。
富士宮議会は81年に百条委員会の設置した。
百条委員会とは地方自治法100条に基づく特別調査委員会で、関係者の証人喚問、強制捜査、さらには証言拒否や偽証には禁固や罰金刑を科せる、という強力な権限を持つ。
学会は反対運動潰しに続いて”百人委員会潰し”をするため後藤組に依頼、同年12月に委員会は消滅した。
後藤「ところが、だ。あいつら(学会)の依頼で協力してやったのに、その後(百条委員会が終結した後)は知らんぷりだ。それどころか、俺が今まで山崎から相談を受けて、学会のために協力したことを、「それは山崎とあんた(後藤)が勝手にやっあtことであって、ウチ(学会)は一切知りません」という態度になった。市議、嫌疑といった地元の公明党関係者もみんな。それは話が違うだろう、と。山崎はあくまで学会のパイプ役、池田の使いとして着たんだ。べつに俺は山崎に使われてたわけじゃない。あくまで池田のために協力してやったんだ。”あんまり他人様になっちゃいかんぜ”という話だよ。」
学会の態度に不満を持った後藤は学会に内容証明郵便を送った。
ところがその3ヶ月後の1983年6月、静岡県警富士宮署に「後藤組壊滅対策本部」が設置されたと言う。後藤によれば1年足らずの間に60人以上の組員が逮捕されたといい、学会への怒りが頂点に達したという。
1985年11月12日、創価学会文化会館で、後藤組幹部ら3人が銃弾を撃ち込み、銃刀法違反で現行犯逮捕された。
後藤「これには池田もビビっただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で”パン”って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いものもんが飛んできて、詫びを入れてきたんだ。俺はべつにこの使いのもんが心底憎いとか、嫌いというわけじゃないから、本人の名誉のためにも『X』とでもしておこうか(笑)」
このXは藤井富雄・元公明党東京都議だといわれている。この”池田のつかい”である藤井の活躍により、創価学会は後藤組と協力関係を取り戻したといわれている。
その一方で創価学会名誉会長だった池田は91年11月、日蓮正宗から破門され。これ以降、宗門と学会は激しく対立する。そしてその池田は門から5ヶ月後の翌年4月には学会と対立する大石寺「妙遠坊」で発砲事件が発生。同年5月には大石寺「奉天寮」に火炎瓶が投げつけられる事件が起こるのだ。まるで学会側の意をくんだかのように、である。
(銃撃された創価学会文化会館)
新左翼と後藤組
後藤組の力は資金力と腕力だけではない。山口組の目下の最大関心事は暴力団対策法への対応だ。反権力を掲げる遠藤誠弁護士を擁して、法律闘争に余念がない。
山口組にこの異色の弁護士をスカウトしたのが、実は後藤組長だった。さらに言えば、後藤組長に紹介したのが野村秋介だった。92年に暴力団新法反対の集会、デモが三回繰り広げられ当時話題を集めたが、参加者は新右翼・新左翼・暴力団の三者共闘だった。
弁護士の遠藤誠は、本法の違憲を主張する行政訴訟の弁護に際して、山口組からの12億円余の資金提供の申出を受けたが無償で弁護している。また、遠藤と野村秋介の音頭により、暴力団有志による「任侠市民連合」、右翼団体・一水会の青年組織「統一戦線義勇軍」、新左翼の日本共産党(行動派)が合同で、デモ行進などによる反対運動を展開した。鈴木邦男もデモに参加した。
●”人権派”弁護士・遠藤誠とは
1930年宮城県大川原町生まれ。仙台陸軍幼年学校中退。東京大学法学部に進み、1953年に卒業、55年司法試験に合格。千葉地裁判事補を3年務め61年弁護士に転職。帝銀事件弁護団長、永山則夫連続射殺魔事件主任弁護人、反戦自衛官事件弁護団長を務めた。遠藤誠法律事務所所長。
遠藤誠がオウムと出会ったのは1990年。オウム真理教幹部・青山吉伸は熊本県波野村の教団進出をめぐる事件で国土法違反で逮捕された。釈放後、青山は遠藤の事務所を訪問してきたという。
スポーツニッポン(95年5月5日号)の取材によると遠藤は、「百件の訴訟を抱えていたこともあり断った」と主張しているが、青山の著書「理想社会」に遠藤誠のコメントが掲載されている。
「『現代人の仏教の会』の教祖であるわたしは、もちろん、オウム真理教の信者ではありません。しかし、最近のオウム信者の住民登録に対する熊本県波野村役場の住民基本台帳法違反の行為や、青山吉伸弁護士とオウム真理教の幹部に対する国土法違反に名を借りての警察の弾圧は、誠にもってとんでもない権力の犯罪行為であります。日本は、今や、ファッシズムの段階に突入しました。そして、それを支えているのは権力とマスコミの垂れ流すデマゴギーに対する国民一般の無知であります。太平洋戦争という侵略戦争に、国民一般がのめり込んでいったのも、またこの国民の無知によるものでした。」
当時、オウム教団は地元住民やオウム家族会と対立しており、サンデー毎日をはじめ一部の週刊誌がオウムの悪評を報じていた。反撃にでたオウムは、アムネスティをはじめとした人権団体と共闘し、教団の犯罪を秘匿しようとした。遠藤誠もまた、オウム教団と共闘した一人だったのだ。
95年3月23日には、遠藤がレギュラーを務める番組に、青山吉伸が出演依頼を気軽に引き受けている。
サリン事件が発生し、麻原が逮捕されると、麻原は遠藤に弁護人になってほしいと希望してきた。山口組を救った弁護士だけに麻原は強く期待していたのである。ところが、遠藤宛に激しい抗議電話がかかり、遠藤の三女が反発して家出する事件が起きた。
遠藤は態度を改め、「無罪を確信することができない」と麻原の依頼を取り下げた。95年5月3日、青山吉伸は、仮谷さん拉致事件で逃走していた松本剛に逃走資金500万円を用意したとして、犯人隠匿の罪で再逮捕された。青山は遠藤に再び弁護を依頼した。
青山「私の弁護をお願いします。遠藤先生でないと駄目なんです。先生のなさった結果なら納得できます」
この依頼について遠藤は「熱意に押されその場で受託した。『だがあなたの事件では上祐さんだろうが麻原さん一切お引き受けできません』と言ったよ」とメディアの取材に回答している
しかし、後日「正直言って上祐さんに『(青山の弁護人を)辞退してください』と言って欲しかった」とつぶやき、弱腰な一面を見せた。2002年没。
(遠藤誠の出版記念パーティーに参加する後藤組長)
現在の後藤忠政
2016年3月、山口組と神戸山口組が分列し対立を深める中、後藤は療養を目的に日本へ帰国。
関西のある組織関係者によれば「(後藤が)両山口組との接触はない」と断言していが、今だにうがった見方も根強くあり、「神戸山口組が後藤元組長のお見舞いに来るらしい」など確定的ではない情報が流れた。後藤は3月30日に退院したといい、「過去に交友のあった民間施設を訪れた」と目撃情報が寄せられている。今後も後藤の動向に各方面から視線が注がれている。
結局最後は本丸に行き着いた
旭川近郊・空知地方で既にない店・施設o 名称変更の店・施設一覧も、おかげ様で570超え?
懐かしい思いでご覧下さい。
※市町村名なし⇒旭川市内
食事施設・菓子店・パン屋・パン工場など
・肉のびっくり市(旭川市流通団地)
・アジア会館(旭川大町。三○綾子の小説にも出ていたという、古くて有名な建物。最後のテナント、幸ちゃん寿司が国道40号沿いに移転後、最近解体。)
・やきとり串屋台(4-19)
・みそラーメンのよしの末広店(末広。R40沿い)
・ほっともっと(4-25。弁当屋)
・だるまや(4-8。そば屋)
・喫茶サントロペ(北門町。川村カ子トアイヌ記念館の角。閉店⇒ラーメン蔦亭⇒閉店)
・ラーメン蔦亭(北門町。喫茶サントロペの跡。現在はアパートに)
・台場つくしんぼ(回転寿司)
・台場館(食べ放題の焼肉屋)
・アップルボーイ(台場&永山。ファミレス)
・台場のステーキヴィクトリア(台場のアップルボーイ建物跡。現在更地)
・竹とんぼ(回転すし)
・マクドナルド旭川二条店
・たこ八
・シュガーベイブ(末広)
・な菜窯ど(台場。食事屋⇒現在、深川に同名の弁当屋⇒その後それも建物解体)
・そば屋日本丸(台場。そば屋)
・レストラン アゼイリア(4-8)
・レストラン男爵(4-8)
・随園(4-8。中華料理)
・亀や食堂(4-8と2-7)
・三江(中華料理。サンチェン、と読む→南6通)
・レストランオリーブ南6条店
・くるまやラーメン(神居)
・レストラン古潭荘(台場)
・千秋庵(買物公園)
・イズヤパン(買物公園)
・喫茶.レストラン原じゅく(買物公園)
・レストラン サンリバ(神楽)
・ドナルドダック(神楽)
・とうきびワゴン(丸井今井前)
・ジュポン(買物公園)
・タージマハール(ESTA最上階)
・ウィンザー亭(西武旭川店)
・大雪の蔵(南6条通)
・たこ将軍(2条&大雪通)
・レストラン じゅ〜(春光台)
・第一梅屋(5-11→梅屋と別。5条旭川教会隣)
・デンマルク(神居)
・ロバパン旭川工場(神居)
・サンロイヤル旭川(神居)
・レストラン ビエンナーレ(末広東)
・宇宙軒(動物園通り。現在は優鳳に改名)
・雷門ラーメン
・ラーメン寅次郎(2・3仲7丁目)
・居酒屋 村さ来
・赤ちょうちん
・屋台村(火事で全焼の2条の人情屋台)
・リトルハウス(神楽の喫茶店)
・ねこのしっぽ(神楽岡の喫茶店)
・葡萄や(3-7セブンビル1F)
・煎菓亭(6-7)
・八條はま長(8-7)
・リトルスプーン(国道39号線沿いの永山。ビリヤードのトムクルーズのあった建物跡。カレー屋のチェーン⇒現在、はま寿司になっている)
・ジャニス(新星町のカフェレストラン)
・シャンティー(オムライス屋→その後、ラーメン心→夢丸やラーメン⇒)
・次郎長寿司(教育大裏)
・レストラン あさひ(錦町19丁目。昔は北門町にあったラーメンあさひ。→すず並みのラーメンの安さ→250円)
・クリスマスローズ(西武1Fの角&鷹栖町にあったカフェレストラン)
・のーすらんど(高砂台)
・リンドバーグ
・プロモーションクラブ
・こいかわ(ラーメン。名物おばちゃんがラーメン丼ぶりに指を入れて持って来た)
・得得うどん(台場、深川、留萌)
・浅岡旭豆本舗(別会社の共生旭豆本舗は健在)
・伊予製麺(永山パワーズ内)
・そば処長五郎 台場店
・そば処長五郎 神楽店(神楽。国道237号沿い。道の駅あさひかわフードコートの長五郎と同一?)
・ミスタードーナツ 旭川4条店(4条買物公園。)
・トライバル(カフェバー)
・中華居酒屋 炒炒(チャオチャオ)
・くわせもん(創作居酒屋)
・クレープハウス ユニ(2条マクドナルドと同じビルの地階から丸井今井に移転。その後消滅)
・五十番(5-9。ふぐ料理など→深川のラーメン屋『五十番』とは無関係)
・レストラン聚楽(昔のA-COOP永山2F)
・OK牧場
・シェーキーズ(明治屋ビル地下。ピザ食べ放題)
・ルモンラッシェ(4-7。フレンチorイタリアン。現在のポプーレの場所)
・ますも食堂(神居古潭。その後増築⇒庭園食堂ますも⇒ドライブインますも)
⇒関連記事
・ホームラン軒(神楽)
・三晃(東光の焼き肉)
・鈴一(マルカツ地下。ラーメン)
・美樹(喫茶店)
・レストラン カレワラ(高砂台。ブルーミントンヒル近くのフレンチ)
・ララミー牧場
・くらわんか(緑ヶ丘東。喫茶店)
・寝釈迦(永山。→移転後アジア金星堂に名称変更)
・カレーのインド本店(大町)
・カレーのインド2号店トムトム(末広東。現在は、らむ舎)
・カレーのインド4条店(4-9)
・カレーのインド東旭川店(現在は、リムカフェ)
・SUAGE(スープカレー)
・カオスヘブン(スープカレー。4条買物公園)
・喫茶ポルシェ(大町。金星橋のたもと付近。道路拡張で立ち退き。)
・らーめん青のれん(豊岡。実際は赤いのれん。店主の体調の限界で昨年末に閉店。現在は、ラーメン越ノ屋)
・食事と喫茶すず東光店(本店は営業中。)
・喫茶 B・W・H(4-13)
・ハッピーウェスト(神居。寿司屋。昨年秋閉店)
・北武(神楽のお好み焼き)
・新天地(市街地のお好み焼き)
・ぱぷりん(神居。パン・プリンの工場。コナミ主催プリンコンテストで過去に全国4位以内)
・ロブス(東光環状線沿い。食べ放題。回転すし竹とんぼチェーン。1F竹とんぼの2F部分)
・アガパンサス(東光の喫茶店。アップルパイが評判。)
・とみ寿司(東6-2。蕎麦屋 大雪の里の斜め向かい。)
・末広寿司?(末広4-1。現在は、春光生協の駐車場)
・喫茶ジョジョ(春光5区5条⇒現在の春光5-9。今は中華料理屋の華楽)
・カフェレストラン(喫茶レストラン)フードスターパリ(旭川駅前。三京ビル2階)
・江丹別そば穂の香(JA神居直売所&JA神楽直売所の、あさがお内)
・ブランシュネージュ(旭川市神楽岡⇒深川市に移転)
・クラシックヒルズ(洋菓子店【The Sun 蔵人】になる前の、ジンギスカンの出来た食事施設。旭川市神楽岡。元・ブランシュネージュの建物の隣で、レンガ造りの建物)
・風待珈琲館(旭川市末広東)
・恐竜の卵(旭川市末広東。カフェ。風待珈琲館の跡)
・喫茶 木立(旭町1-9。現在、カフェ・喫茶 ギャラリー賀が営業。)
・松竹園(5-8。自由軒の斜め向かい。今は更地。)
・松竹園(東光)
・ラーメン心(旭川市豊岡1-1。現在、夢丸やラーメン。東光1-1のらーめん加藤屋の斜め向かい。)
・スープカレー喜多郎(豊岡11-1。今は豚丼屋トントン拍子が入居。)
・喫茶たんぽぽ(旭川市4ー25。移転前のそばや四條庵の2F。今は家具のニトリ駐車場敷地。)
ぽっぽ寿司(永山の環状線沿い。回転寿司屋。今は仏具屋さん)
・菊寿司(永山7-6。永山7条郵便局の斜め裏
現在はアパートに)
・居酒屋 白樺(春光5区。七輪使用の焼肉屋。コンクリートの外壁で古い建物。現在は解体)
・そね食堂(東旭川。ラーメンが人気でした。作っていたおばあちゃんが亡くなり、ほどなく閉店)
・やまかつ(永山一番線。おやき・ソフトクリーム。プレハブの店⇒そのプレハブは、現在なぜか美瑛町の市街地近くの大きい建物の一角に、『やまかつ』の名前入りのまま、置かれている)
・ほむら(永山7-7。今は『焼き鳥ティピ』)
・くじら亭(さんろく街。居酒屋)
・ちゃんこ両国(9-19。現在は、焼き肉『牛若丸』が営業)
・ドライブイン神古苑(神居古潭神社前)
・むらこし菓子舗(中常盤町。旭橋通り沿い、ロータリー交差点近くの和菓子屋。閉店して数年後、常盤商店が営業。現在は、福吉カフェに。)
・常盤商店(むらこし菓子舗だった建物を使用した、和風喫茶。)
・藤屋(4-20辺り。和菓子屋さん。)
・チャンピオン909(クック)(4-西1。ファミレス。現在は、蕎麦屋さんになっています。)
・中島商店(9-7。神田珈琲店の向かい。一昨年辺りに火事で全焼。現在は駐車場。)
・金子精肉店(9-7。8条通からの斜め通り。)
・早坂商店(9-8辺り。お酒とお菓子、食料品)
・志のだスーパー(9-8辺り。早坂商店の並び。)
・文栄堂書店(8-7。買物公園)
・マルハチ紙店(文栄堂書店と、一体になった文房具の店)
・小林商店(8-7。買物公園通、にちりんの筋向かい。道北サンマート加盟店のスーパー。)
・バンク(6-13。フードバー的な店。元は、松岡木材の社屋だったそうで、くっついてる木造の3階立ての大きい家屋が、かなり立派なお屋敷か、昔の遊郭を思わせる。現在、そこの玄関付近にプレハブっぽく増築されてる場所にのみ人が住んでる感じ。木造のお屋敷部分、元は何に使われていたか、分かる人いたら、教えて下さい)
・ビッグムーン(大町2-5。フードバー的な店。ビッグムーンを日本語にすると、オーナーの名字が分かります。)
・とんかつ清川(新富。10年以上前に閉店。)
・とりっこ(豊岡。斜め動物園通り。居酒屋的な店。昨年夏~冬頃に閉店)
・ラーメン三十四番(春光台。)
・うらら(4-19。イタリアンレストラン&雑貨屋。現在は息子さんが、イタリアンレストラン『ソルトペッパー』を営業中。)
・喫茶サンセット(東1-1)
・アンシャンテ(だったと思う)(パン屋。ホクレンガソリンスタンド春光SSに併設。名前を正確に覚えてる方、コメント下さいませ。)
・回転寿司の鮨六(東光、神楽、東旭川)
・牛めし松屋(永山。環状線沿い)
・とんかつかつや(永山。環状線沿い)
・マクドナルド(永山。環状線沿い。現在は、同じく永山の国道39号線に移転)
・ラーメン正月ヤ(永山。環状線沿い。現在は、その建物で、らーめん富蔵が営業)
・銀嶺食堂(4-6。焼き肉アリラン隣。)
・タントボーノ(2-7。イタリアンレストラン。ダイメックスビル1番館か、2番館。現在、入居者ゼロ)
・上海紅房(2-7。中華レストラン。ダイメックスビル1番館か、2番館。現在、入居者ゼロ)
・きんにくや(2-8。にんにく料理、多国籍料理。アネックスビル地下。)
・三条食堂(3-8。3条ビル地下。カレーが美味しいと有名でした。)
・座・和民(3-8。居酒屋。買物公園通り。アイリットビル1階・2階。現在は、1階が、梅光軒系列の『ALL TIME CAFE』に。)
・ラーメン山岡家 買物公園通店(買物公園通り)
・みよしの 買物公園通店(買物公園通り。餃子店。)
・花まるうどん(4-8。買物公園通り。現在は、入居していた建物は更地です。)
・伊太利庵(5-8。5・6仲通り⇒5-7丁目フードテラス1階に移転。つい最近閉店)
・正月庵(忠和。そば屋さん。つい最近閉店)
・にぎりまま(東4-5。おにぎり屋さん。昨年夏頃に閉店。)
・海天丸(永山7-4。回転寿司。現在、同じ系列の北々亭に店名変更)
・合格食堂(近文。旭川運転免許試験場を通り越した道沿いの角で、近文駅の裏。現在は閉店。)
⇒参考ブログ《》
・レストラン富士(7-9。旭川市民文化会館併設。現在は、レストラン『ブンカフェ』が営業。)
・ラーメン幸来(7-10。旭川市民文化会館の裏で、旭川南消防署の近く。)
・ラーメンユーカラ(末広東。環状線沿い。3種類の味噌ラーメンが人気だった。現在は建物解体撤去。)
・ノエルノエル(忠和。旭川トンネル手前。煙突にサンタクロースが登ろうとしているオブジェがありました。現在は、お菓子屋さんの、ロテルド北倶楽部の菓子店と併設のイートインに。)
・ラーメン六銭門(台場。ファミレスのアップルボーイ閉店後、ステーキヴィクトリアに変り、その閉店後に、このラーメン屋さんに。現在、更地)
・とんかつ陽陽(2-8.拓殖市場の隣。閉店の十数年後に、春光6区に復活。その後また閉店。)
・名物旭川塩ホルモンおやじ亭(5-7。4・5仲。今年の1/27に、店主の体調不良で閉店。)
・居酒屋 武蔵(3-12。現在、海鮮いろり心や。)
・初花(春光町2区。寿司・天ぷら。)
・喫茶デリカップ(5条買物公園 サクライビル地下。現在、違う飲み屋さん。1階には焼き鳥の『串鳥』が入居中)
・食事処 館の、激辛ラーメン『ヤクザ殺し』(移転前の6-24にあった当時の激辛ラーメン。現在の7-8姫小路では、メニューから消えたが、頼まれれば作るそう)
・お津奈寿司(豊岡。A-MALLに曲がる斜め交差点の角あたり。)
・吉田ボールト店(6-18)
・ラーメン茂松(東鷹栖)
・マルカツ地下のラルズ(2-7)
・天ぷら白梅(3-7)
・クッテミレール(東光。コンサドーレファンの店主がいた)
・純喫茶りら(大町⇒末広東に移転。最近閉店)
・イシス&オシリス(1-7.エジプト料理。最近閉店?)
・韓国村(末広環状線)
・大阪王将(南6条通。)
・大阪王将(4-19。3/26閉店)
・KUKAI(永山環状線。)
・イートアップ(上記の後。)
・セブンアップ(上記の後。その後、ウェスタンに。)
・春夏秋冬’s(4-7つつじプラザビル2F。シーズンズと読む。)
・味の三平 神居本店(辛いラーメンが有名。神楽⇒神居に移転、昨年秋頃閉店。)
・石州(おにぎり屋。神楽。)
・オステリア零(2-7。フードバー。)
・マル粉ポーロ(2-7。イタリアン。オステリア零の後。ほどなく閉店。)
・SEGA(買物公園と永山)
・BELL(東光のレストラン)
・雲龍(旭神町。中華料理。3/20閉店)
・こま餅店(永山。3/30閉店)
・神楽軒(神楽岡駅前)
・タカラストアー(9-15。向かいの9-16には、セイコマが出来た。)
・みやこ寿司(東光11-3、栗山通沿い。5/10閉店)
・お好み焼きぶん福(永山ウェスタンパワーズ内)
・トミーズ(6-14、イトーヨーカドー内のホットドッグ屋)
・居酒屋 山海(永山ウェスタンパワーズ内)
・回転寿司フリッパー(永山ウェスタンパワーズ内)
・まんてん食堂(神楽、国道沿い。その後、梵天に)
・梵天食堂(神楽、国道沿い。
びっくりドンキー神楽店の向かい辺り、1階が駐車場、2階がレストラン⇒その後、洋服や⇒閉店⇒現在の『紳士服のはるやま』)
・メルリン(神楽、国道沿い。梵天の後)
・ジャズ喫茶gauss(3-8。旧 国劇ビル3F)
・蕎麦屋うえむら?(神楽国道沿い)
・うどんの田村(豊岡1条?宮脇書店の近く)
・ザ・定食YA(3-8.ホテル神田の建物1階)
・プリモピアット4条店(4-8)
・ケンタッキーフライドチキン3条店(3-8)、末広店(末広1条)
・網代(末広1条)
・山麓つくしんぼ(3-7。5/20閉店)
・サンミッシェル(末広、三線道路沿い。5/25閉店)
・ヴィクトリア永山(永山2条。5/30の25時に閉店)
・まるとみラーメン(4-7⇒比布町基線3号⇒末広3-3⇒閉店後、メガネさんちのお弁当屋がOPEN)
・青龍軒(流通団地沿い。6/30閉店)
・ごまそば鶴喜 3条6丁目店(『喜』は『七』を三つ組合せ⇒ネットに出ない字。6/28閉店)
コンビニ・酒屋・小売店・スーパー・デパート・商業ビル・DIYショップ・建設会社・その他商業施設など
・銀座デパート(3-15。H30.7月解体)
・西銀座市場(4-5本通と3・4仲通の間。14・15丁目の銀座通とは離れている)
・3・6市場(3-6。本通と仲通の間)
・神楽市場(神楽。火事で全焼。その後できたマンションで『げそ丼の花ちゃん』営業)
・新町市場(新町。その後そば屋⇒放火の被害で全焼⇒今はセイコマに)
・一条市場(1-1。現在も残る、赤十字前市場の隣)
・拓殖市場(2-8)
・六合市場(春光6区)
・BOX(旭川界隈のコンビニ)
・旭友ストアー
・みしまスーパー
・旭川フードセンター
・國井デパート(旭川市、深川市)
・須貝ビル(6-7)
・国劇ビル(3-8)
・みずほショッピング(大町。国道沿い。)
・西武旭川店
・アムス(ams)デパート(旧 旭川西武A館)
・丸井今井
・長崎屋
・明治屋(買い物公園のお土産や)
・ESTA
・旭川マルサ(旧エクス)
・ラパーク旭川店(現 MEGAドン・キホーテ)
・サンクス(市内のコンビニ)
・ニチイ
・SATY
・ポスフール
・サンチェーン(コンビニらしい)
・石黒ホーマ(現在は、ホーマックと改称)
・全日食チェーン
・まるせんデパート
・大東亜
・アサヒビル
・旭川ステーションデパート
・アサヒビル
・常磐公園の中の大中商店
・十字屋ストア(東光)
・十字屋ストア(神居)
・十字屋(神居。焼肉店)
・マルシンスーパー
・金市館
・シルバープラザ
・アカチャン本舗
・ロッキー(酒屋)
・旧 神楽橋があった頃の、島田商店(宮前通)
・アサミツ(東光のスーパー)
・キョーエープラザ(東光or東旭川町共栄あたりのスーパー的な施設。当時、国策共栄パルプが経営していた)
・Aコープサニー店
・Aコープ神楽
・花咲町のホクレンショップ(現在は、サッポロドラッグに)
・瀬尾商店(永山駅前)
・稲毛商店(伊の沢スキー場向かい。現在は、酒屋とスナックに)
・ケーキのニシムラ(全道各地。本社:札幌。かつては、地下鉄札幌駅?大通り駅?構内に、視覚障害者の働く、100円ケーキショップも手掛けていた)
・キャロット(永山一番線沿い。数か月前に閉店。近所の方々ご用達のスーパーでした)
・ユニディ(永山の国道40号線沿い。DIYショップ。現在は、本屋&レンタルビデオ店のTSUTAYAになっています。)
・マツダ オートザム(豊岡4条。マツダ系列の自動車ディーラー。その後、結婚式用の貸衣装やさん、花嫁の館に。さらに現在は、インターネットカフェになっています。)
・マツダ アンフィニ(マツダ系列の自動車ディーラー)
・ふじスーパー(東光、南6条通、10条通21丁目あたり、神居の環状線などなど。現在は、ベストプライスになっている店が多い。なお、まだふじスーパーのままの店舗もある)
・スーパー サンキ(市内数店舗)
・SPAR(コンビニ。旭川に限らず、全道各地にあった。現在は、ハマナスクラブ)
・山口廉売店(大町2条。国道沿い。現在は自動販売機だけのようです)
・わかば(春光町2区。フードセンター。現在は、大善系列のスーパー、DZ-Mart)
・フードショップさかい(深川市文光町。深川西高校の道を挟んで隣。現在は、フルーツショップ大倉。)
・れたす(4-14。スーパー。)
・ホクレンガソリンスタンド春光SS(春光町2区。現在は、ツルハドラッグ。)
・つつじビル(4-7。オーナーが変わり、アスクゲートWOODビルになりました。)
・リカーショップたなか(末広東。環状線と国道40号線の交点。現在は、ソフトバンクショップに。)
・おおやま商店(春光台1-1。現在は自販のみ)
・旭川印刷(東2-2。かつての中島遊郭の唯一残った建物建物を使用。現在更地)
・玄太郎(パルプ町、北門町)
宿泊施設・入浴施設・健康施設など
・ニュー北海ホテル
・旭川ワシントンホテル(藤田観光の方じゃないよ)
・ホテルパコ
・旭川パレスホテル
・ロワジールホテル旭川
・東急イン
・黎明薬湯
・パル三愛
・観音ロイター
・神居観光ホテル(高砂温泉のすぐ近く。ニュー温泉と並び)
・ニュー温泉(高砂温泉のすぐ近く。神居観光ホテルと並び。SLが置いてあったらしい)
・カイロプラクティック総健
・桃園(雪の美術館のすぐ下、瓢箪型の大きな浴槽の浴場付き娯楽施設。現:創価学会の場所)
・スカイパーク(後の旭川パークホテル。赤や青などの大きなライトに照らされた浴場付きの宿泊もできる施設)
・レストハウス(ジンギスカンの食べられる施設。スカイパークのすぐ近く)
・佐渡や旅館(中央バスターミナル隣)
・東光湯(東光の銭湯)
・神楽岡温泉
・ライダーハウス(旭町2-13。現:若山クリニックの隣、道路の角)
・アスレチッククラブイースト(豊岡のA・MALLの隣)
・すみれ湯 神居(美河屋→デンマルク⇒サンロイヤル⇒ロバパンの工場⇒ヤマザキパン系列の工場サンデリカ建物の、左手奥の場所。)
・すみれ湯 永山(お菓子のナシオ工場の真向いで、永山ステーキヴィクトリアの隣。『すみれ湯』から、いつの間にやら、『かがりの湯』と名前が変わり、今は更地。)
・登別湯(2-3辺り)
・千石湯(7-7)
・常盤湯(中常盤町)
・ローマの泉(9条動物園通り、現在の焼き肉『牛若丸』の近く)
・旭川オリエントホテル(4-4。旭川プラザホテル向かいのビジネスホテル。現在は廃墟)
・和倉湯(5-7辺り。佐久間病院の並びにあったらしい)
・あいらぶ♡ゆ(豊岡。銭湯)
・ホテル330(1-9。ミサワホーム系列でみさわ⇒さんさんまる、らしい)
催事関係・結婚式用の教会など
・花月会館(29年末に閉鎖)
・玉姫殿
・平安閣
・セントポール教会
・ピエール教会
クラブイースト(プラタナス通り。セントポール教会経営。パーティー会場)
・クラブウェスト(同上)
・クラブチャイナ(同上)
・花嫁の館(豊岡4条。マツダ オートザムだった建物を使用。現在はインターネットカフェに。なお『花嫁の館』自体は『QueenzK』と名称変更⇒神楽で結婚式場として営業中)
スキー場・球場・プール・給水施設など
・サンバレースキー場
・春光台スキー場(新道の上)
・宮前球場
・旭川ジャンボプール(台場)
・旭山市民スキー場
・嵐山市民スキー場&ジャンプ台
・国設神居山スキー場(神居古潭トンネルの山の旭川側、現在のペット霊園辺りからの林道を上りスキー場まで移動した。昭和59年、カムイスキーリンクスOPEN後、閉鎖。現在冬季通行止。後に平成2年、カムイスキーリンクス第5リフトとして復活。カムイスキーリンクス第3リフト・ゴンドラからしか行けず、ゲレンデを滑り降りると第5リフトに乗り直し、連絡コースを滑らないと帰れない。)
遊園地・動物園・映画館・娯楽施設・ギャンブル施設公園施設など
・スカイレーン
・ゴードーハニーレーン
・ヤングボウル
・モナコ パチンコ大学
・パチンコキャプテン(買い物公園)
・旭川劇場
・旭川東映
・国民劇場
・ミラノ座
・ミラノ2
・スカラ座
・にっかつ劇場(ロッポニカ旭川)
・旭川東宝
・ペンギン広場(ディスコ。旭川市4-7。マルセンビル。ビル自体も解体。現在はコインパーキングに。)
・クリプトン(同上)
・アルゴン(同上)
・ガラスの城
・グランプリ
・夢屋(パチスロ)
・パチンコ758
・トムクルーズ(旭川市永山。ビリヤード)
・ゴールデン大雪
・旭川競馬場
・フラミンゴパラダイス
・カラオケビッグエコー
・パチンコ サンルート(誘ってくれるなサンルート、行きたくないのに足が向く。と言う街頭CMを覚えてるかな?)
・丸文会館(パチンコ)
・ホワイト会館(パチンコ)
・パチンコ ニューホームラン
・パチンコ ダイワ
・パチンコ メッセ
・ホテル古潭(神居古潭。がけ崩れ、国道切り替えのため移転、台場のレストラン古潭荘に)
・パーク古潭(同上)
⇒ホテル古潭、パーク古潭の関連記事はここをクリック
・シルバーレーン(シルバープラザの前身のボウリング場)
・東光ボウル(東光。シルバープラザの近くにあったボウリング場で、スーパーアサミツの建物の前身)
・バッティングセンター(東光・シルバープラザの近く。名前がわかる方、教えて下さい)
・末広バッティングセンター(末広東。今は亡き、喫茶ビエンナーレの近く)
・サンエス(大町のボウリング場。その後、スエオカ家具店→ニトリに買収され、ニトリスエオカ→ニトリ。その後、オートハローズに。さらに現在は、CD・DVDレンタルのGEOに。)
・カラオケ ビブレ(近文町25丁目あたり。現在は骨董屋。)
・リバーサイドスピードウェイ(曙1-8。旭川大橋たもとにあった、室内RCサーキット 。なんちゃら照明の建物を使用。現在は、また別の店になっています。
・ワールド(旭川市4条通7丁目。つつじビル。ディスコ。入居していたビル自体もオーナーが変わり、アスクゲートWOODビルに。)
・フラミンゴパラダイス(春光6区。カラオケ屋。)
・フラミンゴパラダイスⅡ(永山7-4。カラオケ屋。閉店後、カラオケ歌屋 永山店が入居。下段を参照↓)
・カラオケ歌屋 永山店(旭川市永山7条4丁目。同じくカラオケ屋だった、フラミンゴパラダイスⅡを改装し、営業。昨年閉店。現在は、インターネットカフェに。なお、永山店閉店直後に、歌屋 大町店が新築オープン。)
・サンローゼ(旧 JR旭川駅構内にあったレストラン。全日食チェーンだったかも)
・スカイラウンジ(銀座通り。銀ビル最上階。回るレストランで人気でした)
・ニューキッドインザタウン(銀座通り。銀ビル最上階。スカイラウンジ跡利用。数年前に閉店)
医療機関・治療院・薬局など
・道北病院(現、旭川医療センター)
・石田病院(現、北彩都病院)
・アイウィミンズ病院
・青木薬局(買物公園。現在は、まちなかぶんか小屋が借りています。)
・九条薬局(9-13。解体され更地。)
・道立療養所旭川病院(近文25丁目あたり。当初は、国立療養所でその後、道立に移管されたとの話も。三浦綾子さんが小説でも書いている、ご自身が入院していたといわれる結核療養所でした。十数年前まで、建物が残っており、その後解体。現在も、家などが建てられず、空き地・資材置き場に。)
・ピーチ薬局(春光台)
・吉田整形外科
・岩田整形外科
・太田整形外科(4-17。現在は、介護施設に)
・カケハシ小児科((4-15。最近解体)
・ココカラファイン(末広。ドラッグストアー)
・坂本医院(永山一番線沿い。数か月前閉院&解体撤去。現在は別の小児科クリニックが建っています。)
・真鍋薬局(3-8。買物公園通り。現在は、リーガルシューズが入居しています。)
・辻薬局(4-8。現在は、ローソンに)
・深井薬局(5-8。買物公園通り。現在は、コインパーキングになっています。)
・旭川逓信病院(5-10。後に逓信診療所。現在は郵便関係の別施設に)
飲み屋・怪しい店・施設♡など
・ホテル慕情
・ホテルのうきょう
・同伴個室喫茶 蘭
・スナック小春
・旭川コルト
・ホテル天使の詩(本町。現、ホテルセリーヌ)
・ホテルセンチュリー(常磐公園近く。現、リップローズ)
・キャバレーUFO
・ホテルバッキンガム(忠和にあった、宮殿の形をした施設)
・深海魚(ライブスナック?)
・アフロ5(ディスコ)
・青い城(ディスコ)
・ライブハウス ブーフーウー(3-7)
・パブ 多摩蘭(5-8)
・ホテル White Box(3-4。現:ホテルリベルテ)
・新世界飲食街(本町。現在の『ホテルアイル』か隣辺り。)
・ホテルレノン(旭川美術館の近く。現在は、アパートに改装されています。)
・ホテルC(台場。飛行機と自由の女神像のオブジェが目印でした。)
・ホテル元気(ホテルCから名称変更。経営者も変わったのかな?最近閉鎖。)
・マンモススナック ブルーナイト(4-7。つつじビル。オーナーが亡くなり、現在はアスクゲートWOODビルに)
・つつじホール(同上)
書店・レンタルビデオ店など
・ビブロス
・アラモアナ
・サンジョルディー
・レンタルビデオ WAVE
・サンホームビデオ
・ぺぺ書店
・三省堂書店
・ブックス平和
・玉光堂(3条買物公園からフィールへ、
その後、駅前イオンに移転)
・クローバー音響
・ビデオ100
理容店など
・カットインひさし
炭鉱など
・徳星鉱山(愛別町)
交通機関の施設など
・中央バス深川バスターミナル
・神居古潭駅
⇒関連記事
・旭川電気軌道追分駅(路面電車の始発駅。現:豊岡のA・MALLの場所)
⇒関連記事《
電気屋・レコード屋など
・そうご電器
・でんきのコーヨー
・ミュージックショップ国原
・マチイ楽器
・旭川市曙、旭川大橋のたもとにあった、なんちゃら照明(照明器具店。誰か店名教えて下さい。)
洋服屋・スポーツ店・靴屋・縫製工場など
・ベストワーク旭川(豊岡4-6.作業服)
・ベンクーガー
・マックスラガー
・広野スポーツ
・赤松靴店
・十字屋(高級毛皮店→ポ・プーレ向かい)
・広野スポーツ
・誠屋(春志内。作業服)
・一色(今は解体の須貝ビル内の紳士服店)
・地球村
・ロードランナー(末広のジーンズ屋)
・こみやま(生地屋)
・リヨン(洋服店)
・ジャルダン(ブティック。緑橋ビル)
・洋服の青山 忠和店
・忠和ジャスト(青山忠和店の裏にあった、縫製工場)
・セントラルジャスト(青山大雪通店の裏にあった、縫製工場。建物は解体されたが、青山大雪通店はそのまま営業。さらに同じ敷地の駐車場内に、ステーキ宮が昨年秋に進出、新築し営業)
・北武(防具屋。4条通2丁目辺り。2013年に倒産。)
・サンキ(永山の環状線沿い。アスパ2階。衣料品店。現在は、マルエーという衣料品店。)
金融機関など
・北海道拓殖銀行(北洋銀行に吸収)
・富士銀行(→みずほ銀行)
教育機関・自動車学校など
・旭川自動車学校
・第一自動車学校
・東海大学
・北都商業高校(台場)
・日赤看護学校
・道北病院付属看護学校
・聖園中学校(常盤中学校に統合)
・北都中学校(同上)
・旭川女子商業高校(通称スケ商、現:明成高校)
・凌雲高校(東栄高校と統合により永嶺高校に名称変更。)
・東栄高校(凌雲高校と統合により永嶺高校に名称変更。30年3月の卒業生をもって閉校)
交通機関など
・旭川バス(のちに旭川電気軌道に吸収合併)
・路面電車(旭川市街軌道⇒路面電車廃止後?バス事業の『旭川バス』に)
・路面電車(旭川電気軌道⇒バス事業開始後、路面電車廃止。のちに『旭川バス』を吸収合併、現在に至る)
・急行カムイ(函館本線)
・急行天北(天北線)
・特急おおとり(函館本線。特急オホーツク登場後、無くなった)
・711系電車(通称・赤電。急行カムイなどに使用されていた)
・国鉄時代の郵便車(建造・所有は、当時の郵政省。1985年、国鉄民営化に伴い廃止)
酒造会社など
・澤の雪石崎酒造店(1-15)
・北の誉酒造株式会社(5-15)
・登鶴酒造株式会社(3-18)
・丸井酒造(→フィール)
橋梁や道など
・旧 神楽橋(隣に架け替えて、神楽大橋に。架け替えに伴い、周辺道路の交差点などが変わった。)
・旧 大正橋(近くに架け替えて、名称はそのまま大正橋に。架け替えに伴い、周辺道路の交差点などが変わった。)
・旧 永山橋(隣に架け替えて、永山大橋に。架け替えに伴い、周辺道路のカーブなどが変わった。)
・旧 新橋(→言い方が変ですが 笑。隣に架け替えて、名称はそのまま新橋に。架け替えに伴い、周辺道路のカーブなどが変わった。)
・旧 旭永橋(→言い方が変ですが 笑。隣に架け替えて、名称はそのまま旭永橋に。架け替えに伴い、周辺道路のカーブなどが変わった。)
・神居古潭の旧国道(旭川市神居古潭。神居古潭トンネルの深川側。現在の国道の山側に並行し少しだけ残っている。⇒H29年、橋の工事に伴い一時的に復活)
・春志内の旧国道 その1(旭川市春志内。現在の国道の、頭首工の深川側の駐車帯(よくネズミ捕りをしている場所です)の下に、頭首工事務所の手前から、現在の高架橋になっている国道の真下まで、廃道が数百m残っています。⇒駐車帯から下を除くと、当時の道路標識と共に垣間見えます。)
⇒関連記事《》
・春志内の旧国道 その2(旭川市春志内。頭首工の横から、現在の春志内トンネル出入り口の下に見える道路。現在は、新サイクリングロードに。かつて、この旧道の砂利道の駐車帯で毛ガニの行商のトラックが停まり、道行く車に毛ガニを売っていた)
・末広の環状線と新道の交点に降りていた道路(旭川市末広。20年ほど前まで、旭川新道が末広の環状線に繋がるまで、山の上、春光台の奥から(住所は末広?)鷹栖神社への階段の隣に抜ける道路。旭川新道が繋がり、クロネコヤマト営業所と駐車場に。現在、完全に壊され、獣道に。)
公共施設
・海上保安庁のデッカ局(美瑛町)
イベント名
・旭川バーサースキー大会(歩くスキー&クロスカントリーの大会。現在は、バーサロペット・ジャパンと名称変更)
小売店・その他・もしくは不明なジャンル
・買い物天国(5-8買物公園。リサイクルショップ)
・八つ目うなぎを売っていた民家(石狩川・国道12号線沿い→神居古潭と深川市音江か内園辺りに各一軒)
⇒関連記事
・山陽国策パルプ(H5年に十條製紙と合併⇒現・日本製紙)
・ハローマック(おもちゃ屋)
・丸井金物(→現・フィール)
・東京タイム堂(買物公園。時計店)
・グリーンイースト
・バラ美容室
・石州
・ピットインムトー(5-18。ラジコン・模型店。現在、同じ建物の別の部屋で、レストハウスムトーとして、レストラン営業)
・旭川コンピュータービジネス(旭川市大雪通。建物解体撤去後、7-11に。さらに閉店後解体。現在その場所は、セブンイレブン⇒大雪通食堂に)
・ザ・生活館(リサイクルショップ。旭川市東光1条1丁目。現在は、らーめん加藤屋などが入居。)
・時代屋(1-15。骨董品屋。)
・北海タイムス(旭川の新聞社)
・フォーククラフトスズキ(台場。出光スタンドの斜め向かい。民芸品直売。現在は中古車屋さんに)
未分類
冒頭に示した、旭川市以外の近郊及び空知地方の店については↓
いかがでしたか???
間違いや、補足情報などあれば、教えて下さいませ(^_-)-☆
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