薬研のことはもう忘れましょう。あいつはもうだめだ。
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現代薬研の最前線
こんにちは。
ありがたいことに普段は暇な私も最近は人並みに忙しくし過ごしております。ただ今年もあと2週間チョットかと思うと一抹の寂しさも感じたりするこの頃であります。
実は今年は、父と母が相次いで他界し、30年以上の入院生活をしていた独り身の叔父も亡くなり、また飼っていたインコも後を追うように亡くなってしまいましたので半年で4回喪主を務めました。(インコ含む)
生きとし生けるもの、時間には限りがございますので、仕事も趣味も思いっきり楽しんで末期には「浮世の月にかかる雲無し」と言えるように今後も歴史散策に邁進していく所存でございます!
という訳で前回に続き南信州での山城散策の続きを。
こちら松尾城址。
小笠原氏の居城の一つで、南北朝時代には城としての機能を備えていたようです。
松尾城から望む鈴岡城址です。鈴岡城も小笠原氏の城ですが、武田に付くか、織田に付くか、徳川に付くか、豪族連合だ、いいや、どこにもつかんぞ、と喧々諤々、身内で対立していたようです。
これこそ敵の思う壺なんですがネ・・・。
同族同志、この至近距離で罵り合ったそうです。
松尾城ではあまり遺構が見られなかったので沢を渡って隣接する鈴岡城跡へ。
二つのお城はこの深さ70mの沢で隔てられていたようで、現在は橋があるので簡単に移動できますが、ほとんど崖なので移動は困難だったことでしょう。
鈴岡城へ登るとこんな景色を見ることができます。
日本で二番目に高い山、「北岳」。標高3193mです。
(一番右だったかなァ。)
鈴岡城も同じく小笠原氏の居城です。現在はいい感じで遺構が残る公園として整備されています。
こちらは堀切。
堀があると私の場合、上に登ろうと思わずに堀底へ下りたい衝動に駆られますが、囲まれた空間が好きなんです。寝る時も壁にくっついて寝ると落ち着きます。
本丸側から堀を挟んで二の丸を望みます。
遊具があって子供たちが遊んでいますが城跡で遊べるなんて贅沢です。
また堀底へ突進。安心感がたまらんです。
私は城攻めには向いていませんネ。
縄張り図を確認するとかなり大きな山城だったようです。
山でこの土木工事は大変な工事だと思いますが。平地で30センチ、数㎡鋤取るのだって大変ですからね。
ここにも大切な工夫があるのです。堀底の幅、斜面の傾斜角が一定ではありませんよね。もちろんわざとこのように造ってあるのです。
堀底幅を広げる場合は斜面を急に、
底幅を狭くする場合に斜面をなだらかにするのです。敵は当然堀底幅が狭くなだらかな斜面をめがけて集中しますからそこを叩けるようになっているのです。
守りながら敵を誘導する仕組みになっているのですね。コワっ。
土塁と堀はセットでしたよね。
この堀はV字の薬研堀で最大傾斜60度の急斜面だったそうな。
もう攻める気が無くなります。
現在は雨風でなだらかに浅くなってしまっていますが、発掘調査から堀は現在よりも1m深く、斜面ももっと急だったようです。
埋められていますが堀底は障子堀のようになっていたのだとか。
益々面白いです。色んなことを考えてしまいますよね。
こちらが土塁の武者走り。山城に武者走りとは面白いですね。
堀底が平坦だから迂回しようと堀をずっと辿っていくと先程の深い沢に出てしまうのです。城攻めはもう諦めるしかなさそうです。
攻めさせない工夫とはこのことですな。
ここまでありがとうございます。
南信州はとても面白かったです。名古屋駅からはバスで2時間程だし、何で今まで来なかったのだろうと思ってしまうほど身近に感じました。また飯田城址周辺の散策にも行ってみたいので桜の時期にでも再チャレンジと思っています。
今年はもう一回くらいは散策したいので何とか頑張ります。
薬研楽天通販ショップ
こんにちは。
ありがたいことに普段は暇な私も最近は人並みに忙しくし過ごしております。ただ今年もあと2週間チョットかと思うと一抹の寂しさも感じたりするこの頃であります。
実は今年は、父と母が相次いで他界し、30年以上の入院生活をしていた独り身の叔父も亡くなり、また飼っていたインコも後を追うように亡くなってしまいましたので半年で4回喪主を務めました。(インコ含む)
生きとし生けるもの、時間には限りがございますので、仕事も趣味も思いっきり楽しんで末期には「浮世の月にかかる雲無し」と言えるように今後も歴史散策に邁進していく所存でございます!
という訳で前回に続き南信州での山城散策の続きを。
こちら松尾城址。
小笠原氏の居城の一つで、南北朝時代には城としての機能を備えていたようです。
松尾城から望む鈴岡城址です。鈴岡城も小笠原氏の城ですが、武田に付くか、織田に付くか、徳川に付くか、豪族連合だ、いいや、どこにもつかんぞ、と喧々諤々、身内で対立していたようです。
これこそ敵の思う壺なんですがネ・・・。
同族同志、この至近距離で罵り合ったそうです。
松尾城ではあまり遺構が見られなかったので沢を渡って隣接する鈴岡城跡へ。
二つのお城はこの深さ70mの沢で隔てられていたようで、現在は橋があるので簡単に移動できますが、ほとんど崖なので移動は困難だったことでしょう。
鈴岡城へ登るとこんな景色を見ることができます。
日本で二番目に高い山、「北岳」。標高3193mです。
(一番右だったかなァ。)
鈴岡城も同じく小笠原氏の居城です。現在はいい感じで遺構が残る公園として整備されています。
こちらは堀切。
堀があると私の場合、上に登ろうと思わずに堀底へ下りたい衝動に駆られますが、囲まれた空間が好きなんです。寝る時も壁にくっついて寝ると落ち着きます。
本丸側から堀を挟んで二の丸を望みます。
遊具があって子供たちが遊んでいますが城跡で遊べるなんて贅沢です。
また堀底へ突進。安心感がたまらんです。
私は城攻めには向いていませんネ。
縄張り図を確認するとかなり大きな山城だったようです。
山でこの土木工事は大変な工事だと思いますが。平地で30センチ、数㎡鋤取るのだって大変ですからね。
ここにも大切な工夫があるのです。堀底の幅、斜面の傾斜角が一定ではありませんよね。もちろんわざとこのように造ってあるのです。
堀底幅を広げる場合は斜面を急に、
底幅を狭くする場合に斜面をなだらかにするのです。敵は当然堀底幅が狭くなだらかな斜面をめがけて集中しますからそこを叩けるようになっているのです。
守りながら敵を誘導する仕組みになっているのですね。コワっ。
土塁と堀はセットでしたよね。
この堀はV字の薬研堀で最大傾斜60度の急斜面だったそうな。
もう攻める気が無くなります。
現在は雨風でなだらかに浅くなってしまっていますが、発掘調査から堀は現在よりも1m深く、斜面ももっと急だったようです。
埋められていますが堀底は障子堀のようになっていたのだとか。
益々面白いです。色んなことを考えてしまいますよね。
こちらが土塁の武者走り。山城に武者走りとは面白いですね。
堀底が平坦だから迂回しようと堀をずっと辿っていくと先程の深い沢に出てしまうのです。城攻めはもう諦めるしかなさそうです。
攻めさせない工夫とはこのことですな。
ここまでありがとうございます。
南信州はとても面白かったです。名古屋駅からはバスで2時間程だし、何で今まで来なかったのだろうと思ってしまうほど身近に感じました。また飯田城址周辺の散策にも行ってみたいので桜の時期にでも再チャレンジと思っています。
今年はもう一回くらいは散策したいので何とか頑張ります。
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