ローカルに何が起きているのか
ハイサイ、RIN(凛)です
安室奈美恵が10歳~14歳まで在籍した「沖縄アクターズスクール」は、
1983年(昭和58年)4月に那覇市泊(とまり)に開校。
その後、沖縄校は在籍者数の増加に伴い、
1995年11月に那覇市泉崎、1997年6月那覇市牧志(まきし)、
2002年10月宜野湾市大山に移転した。
私が沖縄に移住したのは1999年だけど、
私が本島内のあちこちにいるコーヒー栽培者に見学に行って
栽培法などを伺うのに、国道58号線を何度も通るうちに、
現・ニトリ宜野湾店付近に「沖縄アクターズスクール」の自社ビルを見つけ、
「ここで安室奈美恵やMAX、DA PUMPがレッスンを受けていたのか」
と感慨深く思っていたのだけど、
彼らが通っていたのはここじゃなかったんだね。
安室は那覇市泊に通っていたんだよ。
「沖縄アクターズスクール」の出身者は、
若い人は知らないだろうけど、初期は早坂好恵、知念里奈、
kiroroの玉城千夏も中学生の頃に在籍していた。
モデルの安座間美優や山田優、
黒木メイサ、満島ひかり、MAX、DA PUMP、SPEEDもそうだし、
大阪校が出来るまではmisonoも在籍していた。
ちなみに、仲間由紀恵は「沖縄タレントアカデミー」出身、
国仲涼子は那覇商業高校3年生の時に、
氷ぜんざいの富士屋でバイト中に芸能事務所にスカウトされている。
「沖縄タレントアカデミー」社長のマキノ正幸(76歳)は、
今井絵理子の不倫騒動の時のインタビューで、
「私がスカウトしたのは安室奈美恵だけです。
安室が10歳のころ、4~5歳の今井が安室に憧れて入ってきた。
あの頃の安室はちびっ子のど自慢で活躍してた。
その安室を見て『この人はなんでこんなにすごいんだろう』と思って
入ってきたのが今井。
ただ、安室でもSPEEDの他のメンバーでも国会議員は無理ですよ」
と、今井の議員としての資質にも強烈なNGを出していた。
まあ、寡黙(かもく)な安室が国会議員に立候補することはいくらなんでも無いだろうけど、
多くは有名になると「ブタもおだてりゃ」式に、担ぎ出されてしまうんだよね。
「沖縄アクターズスクール」の現在は、事業を縮小し一般の生徒の募集はせず、
人づてに紹介された少女5人が在籍、
生徒1人と16歳の4人組グループ「Precious J」がレッスン中らしい。
いつか世に出ればいいけどね。
さて、「約束 わが娘・安室奈美恵へ」の第三章では、
沖縄アクターズスクール時代について書かれている。
安室が小学校4年生の秋に、
「明日、一緒に行ってほしいとろがあるの」
と母に言い、
安室は母を沖縄アクターズスクールに案内した。
以下、そのあたりの本の文面のコピペ
初めてマキノ正幸校長と会ったときは、
奈美恵と二人で牧野校長の前に座り、
まるで学校の親子面接を受けているようにかしこまっていました。
ところが、マキノ校長は開口一番、
「うちに研究生として入れたいので、お母さんに承諾してもらいたい」
面接試験もなにもない、最初から合格通知をもらったようなものです。
でも、その頃の我が家は私が朝晩働いてもお金のない時でしたから、
私は真っ先に訊きました。
「入るとなれば月謝がかかるんでしょう?」
どういう形であれ、余計なお金をかけることは出来ない、と思っていました。
すると、マキノ校長はあっさりと
「はい」
と答えました。
私も即座に言いました。
「そんなお金はないし、ましてや歌とか踊りとか、そんなことが、
これから奈美恵が生きていくのに役立つとは思えません」
お断りするつもりだったんです。
たしか、当時のアクターズは月謝が1万円でした。
月謝に払う1万円があるのなら、家族みんなで
少しでも美味しいものでも食べた方がいいと思ったんです。
そのまま帰ろうとしたら、マキノ校長は少し考えてから、
こんな条件を出してきました。
「お金はけっこうです。特待生として、とりあえず2年間預けて下さい」
さらに
「この子は絶対にモノになります」
とまでおっしゃった。
その時のマキノ校長の自信に満ちあふれた顔が、今も忘れられません。
私も図々しいもので、お金がかからないと聞いた途端、
「本人がやりたいと言うんなら」
とOKしました。
もちろん、
「絶対にモノになる」
というマキノ校長の言葉を鵜呑みにしたわけではありません。
どうせ芸能人の真似ごとでもするんだろう、お金もかからないし、
奈美恵が好きでやりたいと言うんだから、まあ、構わないか…。
そんな感じの、まったくノー天気な母親でした。
その日の帰り道、やっと奈美恵が事のいきさつを教えてくれました。
奈美恵の同級生で仲のいい友達がいて、
やはり母子家庭で近くに住んでいたんですが、
彼女がすでにアクターズに入っていて、
「見においでよ」
と誘われたんです。
友達がどんなことをしているのか奈美恵自身も興味を持っていたので、
スタジオの隅でみんなが踊っているのをじっと見ていたら、
マキノ校長に
「君もうちに入らないか」
と誘われた、と言うんです。
奈美恵はすぐに、友達もやっているし、やってみたいという気持ちになったんですが、
さすがにその場で「ハイ」とは言えず、、
「お母さんに聞いてみないとわかりません」
とだけ言って、スタジオを出て行った。
ところが、バス停まで校長が追いかけてきて、
「お母さんには先生が話すから、明日にでもお母さんを連れてきなさい」
と…。
奈美恵は見学をしていただけで、踊りとか歌を披露したわけではないんですが、
マキノ校長には、奈美恵を見た瞬間、なにか
じるものがあったんでしょうね。
校長は安室の歌や踊りなどのテストも行わず、
「お金がないから月謝が払えない」
という母に
「特待生として2年間預けてほしい」
と言った。
小学校4年生の女児に才能を感じていたのだろうから
マキノ校長の眼力というのか、将来性を見抜く能力というのもすごいね。
そうして、安室は週に3回、
那覇市石嶺(いしみね)の石嶺団地から、
那覇市泊までレッスンに通うことになった。
私が島尻の南風原町に住んでいる頃の石嶺団地は、
おそらく安室が住んでいた当時の昔の建物だった。
正確には、安室の当時の住まいは石嶺団地31号棟303号室。
だけど、那覇市の石嶺市営住宅建替事業で、
第1期~第5期(2006年~2016年)、
「心のふるさと 石嶺団地」というキャッチフレーズの基に
高層の立派な市営団地に建て替えられていて、
安室が住んでいた当時の面影は今はない。
以下、再び本の文面のコピペ
当時住んでいた団地からアクターズのある那覇までは、
子供の足なら1時間半くらいかかります。
それを、奈美恵は学校が終わると
家にいったん戻ってかばんを置き、バス停を頼りにして歩いて通いました。
週刊誌などでは、
「家からアクターズまで歩いて通った」
と美談のように語られていますが、そんな格好のいいものではないんです。
単純に、我が家にお金がなかったから。
バス代が往復で260円かかりますから、週3日アクターズに通うと毎週780円。
月にすれば3120円です。
当時の我が家の経済状態では、そのお金を払うのも苦しかった。
だから、奈美恵にははっきりと言ってありました。
「校長先生にも話したように、アクターズに通うためのお金は一銭も出せないのよ。
バス代もそう。それでもいいのね?」
実を言うと、牧野校長には
「絶対にモノになる」
と言われたものの、
私自身はアクターズに通うことがそれほど大切なこととは思っていませんでした。
歩いて通うのがしんどくなったら、すぐ辞めると思っていたし、
それでもいいと思っていたんです。
東京あたりなら
「自転車で通えばいい」
となるかもしれませんが、
沖縄では自転車に乗る習慣というのがあまりないんです。
自転車屋さんもほとんどありませんでした。
だから逆に自転車は高級品で、
我が家でもお兄ちゃんが中学時代に新聞配達のアルバイトをして
2万円ほどの自転車を買ったことがあるんですが、
一週間もしないうちに盗まれてしまったほどです。
そんな事件を奈美恵も知っていますから、
自転車で通おうという発想は出てこなかったんだと思います。
今にして考えてみると、徒歩1時間半というのは、
行きはともかく帰りは大変だったでしょう。
レッスンで疲れているし、夜道だから危険もある。
他の子はバスで帰ったり、家の人が車で迎えに来たりしますが、
奈美恵だけ一人で帰るんです。
我ながら無責任な母親で、可哀そうなことをしたと思いますが、
当時の私は、昼の保母の仕事を終えたら夕飯の支度をして、
またホステスの仕事をしなければならなかったので、
とても奈美恵の送り迎えを考える余裕はありませんでした。
そういう時、同じ方角に家のある子の親御さんが
近くまで送ってくれることもありました。
今でも本当に感謝しています。
そして、奈美恵も我が家の事情を知っていますから、
「歩くのがしんどいからバス代をちょうだい」
などと弱音を吐いたことは一度もありません。
往復3時間の道のりを歩き続けたんです。
アクターズに行けば自分の好きなことをやれる、
アクターズには楽しいことがある。
たぶん、その一心だったのでしょう。
那覇市石嶺(いしみね)の石嶺団地から、那覇市泊までは平坦ではない。
石嶺は首里で高台にあり、泊は海の近くだから
行きは下り、帰りは登り坂になる。
途中に末吉公園という大きな公園があり、
それを迂回するようなコースで、
沖縄の梅雨や長い夏、スコールもあっただろうし、
台風が接近して強風の日もあったはず。
大人が散歩に歩いたとしても、
おそらく一日で止めるコースのはずだ。
それを安室は約5年も続けたのだから、
それだけでも相当な根性の持ち主といえる。
沖縄では傘をさして歩く、という人は少ない。
ましてや折りたたみ傘を持つ人はさらに少ない。
通学、帰宅途中で急なスコールに遭い、
制服がズブ濡れになって歩いている中高生をよく見るけど、
「なぜ傘を持たない?」
と聞くと、
「傘が重い」
「風が吹く」
とかの言い訳を言い、最後には
「濡れても着てればすぐ乾くさ」
と呆れる決まり文句を言うんだよね。
この辺は沖縄と本土の温度差は大きい。
また、沖縄ではここ7,8年くらいかな、自転車が普及し出したのは。
私が沖縄に移住した時に、本土から持って来たのに
坂が多いことで使わなくなった荷台付きママチャリを
新聞の「譲ります」コーナーで3千円で出したところ、
翌日10人以上から応募があり、
まだ新しい自転車で、荷台が前だけでなく、後ろにも付けてあったことで、
譲ることにした方が、自転車を引き取りに来られた時に、
「3千円じゃ安すぎる」
と言い出し、5千円を差し出されたことがあった。
もち
ろん頂いたのは3千円だけどね、
本土での中古自転車といったら、相場はそんなものだよね。
もう18年も前のことだけど、自転車に乗っている人自体が
沖縄では当時はほとんどいなかった。
沖縄は平坦なように思えるけど、微妙に坂が多い。
段付き自転車じゃないと通勤、通学、買い物には不向きだし、
盗難も異常に多い。
なので安室の兄の自転車が盗難に遭った、というのも納得。
仮に安室が子供用自転車をもらったところで、
行きの下り坂でしか使えないはず。
役場や図書館、スーパー、病院、コンビニ、学校、居酒屋…、
傘置き場には傘が無数に置き忘れられている。ほぼ満載状態。
沖縄人からみたらふつうだろうけど、本土人からすると
傘放置は異常な光景なんだよね。
1983年(昭和58年)4月に「沖縄アクターズスクール」を
那覇市泊(とまり)に開校したものの、
スターがなかなか育たないマキノ校長は焦って
秋元康にプロデュースを依頼してしまう。
それで、1987年~91年ぐらいまで、
秋元康が「沖縄アクターズスクール」の特別顧問みたいな形で、
スクールの運営に関わっていた過去があった。
秋元康のネームバリューが功を奏したのか、
1988年5月から約1年間、沖縄のローカルTV局で
「夕やけニャンニャン」風のアイドル育成番組「CATCH TV」が始まり、
そこで選ばれた早坂好恵や里中茶美(ISSAの姉)、奥永知子の3人は
ポニーキャニオンとのプロジェクト「HeBeE」で歌手デビューした。
また1989年には、その3人組による
バナナ輸入推進アイドルユニット・BANANAもデビューした。
そういう経緯があり、地元沖縄で
「沖縄アクターズスクール」の名を広めることに成功した。
その後、両者はトラブルに発展してしまう。
「仕事を取ってきてやった」
と主張する秋元は、
マキノ校長に数千万円の高額報酬を請求してきた。
これは秋元の常とう手段なんだけどね。
おにゃんこもそうだけど、秋元はプロデュースに優れ、
金儲けの才能はあるのだけど、
個々のタレントは売れようが売れまいがお構いなし。
私は秋元は大嫌い、なのでAKBも嫌い。
マキノ校長からすれば、生徒は晴れてデビューは出来たものの、
歌手としてはブレイクしていないことに納得出来なかった。
「歌って踊れる歌手の育成」
を目的にしていた「沖縄アクターズスクール」のスタンスに反して、
「BANANA」は、ほとんどレッスンをさせないままのデビューで使い捨て、
「それが芸能界、アイドルというものだ」
という秋元の考え方について、マキノ校長は納得が出来なかったのだ。
結局、マキノ校長は秋元の要求する額の過半数を分割で支払うことで納得させ、
以降、秋元は沖縄では仕事が出来ない状況に至っている。
安室がいたスーパーモンキーズも、
秋元プロデュースでデビューさせる話もあったらしいから、
結果的には両者が物別れになったことが、後に幸いしたことになる。
安室は、祖母の代から3代母子家庭が続いている。
2010年国勢調査の全世帯数に占める、ひとり親世帯(父子・母子家庭)の比率では、
全国の父子・母子世帯数は844,661世帯で100世帯あたり1.63世帯、
最も多いのは沖縄県で3.06世帯。
2位は宮崎県で、以下、青森県、北海道、高知県と続いている。
上位10県のうち、北海道と青森県を除く8県は西日本が占め、
デキ婚や離婚が多いところで父子・母子家庭が多く、
給食費滞納率も高い傾向にある。
沖縄県は、デキ婚、離婚率で全国2冠王だけど、
それは不名誉というより、むしろその県民性としては
マイナスイメージが極めて低く、
家族や友人、知人、仕事関係など、
社会的に父子・母子家庭を擁護する傾向にある。
しかも、母子家庭となった母親は、その家族を守るために猛烈に働く。
私はヤマトだけど、沖縄女性の働きはハンパないよ。
日本全国で嫁募集する青年には、沖縄女性を推薦したいくらいだ。
なので、安室の早い結婚や離婚、その後の母子家庭は、沖縄では珍しくはない。
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