誰が結構な頻度の責任を取るのだろう
こんにちわ☺︎
本日、二度目の投稿♪
良かったら見てね(*´꒳`*)
私、見た目ぽーっとしてるし
結構な頻度でニコニコしてるから
子どもがいないようにみえたり
障害児の母親だと思われなかったします。
でね、私産まれた時から何もなく
ずーっと幸せそうにしてたわけじゃないです。
今日は、ひなが生まれてからの事を
書こうと思います。
ひなは9年前の夏に産まれました。
妊婦健診もつわりと張り以外は
何事もなく普通に受けていました。
ひなの障害は産まれてから分かったのです。
出産自体は安産でした。
でも、ひなが私のお腹からでてきたのに
泣かないのです。
息が出来ない状態でした。
幸いにもNICU(新生児集中治療室)が
ある大きな病院だったので
すぐに詰まったものをとってもらい
泣きましたが、とても細く小さい
可愛い産声でした
産まれたら、すぐに抱っこが出来るものだ
と思っていたのにタオルにくるまれたひなは
一瞬だけ私に顔を見せ
すぐにNICUに行ってしまいました。
未熟児だから仕方ないかな…
とその場を過ごしました。
私が個室に戻りしばらくすると
主人だけが主治医に呼ばれました。
話から戻ってきた主人が
ひなの障害の事を私に教えてくれました。
辛くて辛くて泣きました。
私が今まで食べたものがいけなかったのか
もっと早く張りに気づいていればよかったのか
もっと安静にしていればよかったのか
ありとあらゆる事を思い出して
たくさんたくさん自分を責めました。
そして、この子はこれから
不自由に生きていくんだ…
と落ち込みました。
今思うと、この話を一人で聞いた主人は
とても不安で辛かっただろうと思います。
ひなとの面会がOKになったので
会いに行きました。
保育器の中でたくさんの管がつながれ
眠る小さなひながいました。
その姿を見たときに涙が止まりませんでした。
そして、私はこれからどうしていけばいいのか
不安で心がいっぱいになりました。
心の中で何度も何度も
元気な体で産んであげられなくて。
本当にごめんね…と謝りました。
ひなの障害は先天性多発性関節拘縮症
ひなの場合は、首から下に症状が出ています
産まれた時はひじ・膝は伸びきって、
足手首は変形股関節は左が脱臼。
背骨も成長とともに曲がるであろう・・・
ということでした。
保育器の中で細い声でなくひな
不安な気持ちのなかでも
やっぱり我が子は可愛い!と癒されました
本当なら、一緒に退院したかったけど
ひなはまだ口からおっぱいが飲めないので
1ケ月、NICUにいました。
毎日、母乳を届け何時間も抱っこしたり
おっぱいを飲む練習をしたり自分の身体なんて
そっちのけで早く退院できるように頑張りました。
そんな中、ショックだったのが
主治医がいつまでメソメソ泣いてるの?!
ってぐらいの冷たい態度…
看護婦さんにもお母さん強くならなきゃ
と言われたこと。
強くならなきゃいけない!と分かってる
でもあなたは経験してないから分からないでしょ!ってすごく虚しさと悔しさでいっぱいでした。
ひなの退院が決まる頃、
小児整形専門の病院が近くにあるということで
退院後すぐにいきました。
そこで、告げられた事は
「この子は重度です。
自分でご飯も食べられないかもしれない」
泣き崩れました。
やっぱり、この子は不自由に生きるんだ。
そこからは、いろんな治療が始まりました
アキレス腱をきる手術
股関節の脱臼を治すために体にベルト
手足首の変形を治すための装具
2度の長期入院でも脱臼はよくなりませんでした。
小さい身体にいつも何かしら装具をつけていました。
今思うと、こんなに治療がスムーズに
受けられた事は奇跡なのかもしれない。
あの時はひなを思うと辛く変わってあげたい!と
思うことも、いろんな人が周りにいたから
ひながここまで成長できたんだと思う。
心から感謝です。
ひなが1~2歳頃までは
2人だけで過ごす日々。
ひなの可愛さに癒されながら
とても幸せな毎日でした(*´ω`*)
長くなったので今日はここまで♪
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今日は、ひなが生まれてからの事を
書こうと思います。
ひなは9年前の夏に産まれました。
妊婦健診もつわりと張り以外は
何事もなく普通に受けていました。
ひなの障害は産まれてから分かったのです。
出産自体は安産でした。
でも、ひなが私のお腹からでてきたのに
泣かないのです。
息が出来ない状態でした。
幸いにもNICU(新生児集中治療室)が
ある大きな病院だったので
すぐに詰まったものをとってもらい
泣きましたが、とても細く小さい
可愛い産声でした
産まれたら、すぐに抱っこが出来るものだ
と思っていたのにタオルにくるまれたひなは
一瞬だけ私に顔を見せ
すぐにNICUに行ってしまいました。
未熟児だから仕方ないかな…
とその場を過ごしました。
私が個室に戻りしばらくすると
主人だけが主治医に呼ばれました。
話から戻ってきた主人が
ひなの障害の事を私に教えてくれました。
辛くて辛くて泣きました。
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もっと早く張りに気づいていればよかったのか
もっと安静にしていればよかったのか
ありとあらゆる事を思い出して
たくさんたくさん自分を責めました。
そして、この子はこれから
不自由に生きていくんだ…
と落ち込みました。
今思うと、この話を一人で聞いた主人は
とても不安で辛かっただろうと思います。
ひなとの面会がOKになったので
会いに行きました。
保育器の中でたくさんの管がつながれ
眠る小さなひながいました。
その姿を見たときに涙が止まりませんでした。
そして、私はこれからどうしていけばいいのか
不安で心がいっぱいになりました。
心の中で何度も何度も
元気な体で産んであげられなくて。
本当にごめんね…と謝りました。
ひなの障害は先天性多発性関節拘縮症
ひなの場合は、首から下に症状が出ています
産まれた時はひじ・膝は伸びきって、
足手首は変形股関節は左が脱臼。
背骨も成長とともに曲がるであろう・・・
ということでした。
保育器の中で細い声でなくひな
不安な気持ちのなかでも
やっぱり我が子は可愛い!と癒されました
本当なら、一緒に退院したかったけど
ひなはまだ口からおっぱいが飲めないので
1ケ月、NICUにいました。
毎日、母乳を届け何時間も抱っこしたり
おっぱいを飲む練習をしたり自分の身体なんて
そっちのけで早く退院できるように頑張りました。
そんな中、ショックだったのが
主治医がいつまでメソメソ泣いてるの?!
ってぐらいの冷たい態度…
看護婦さんにもお母さん強くならなきゃ
と言われたこと。
強くならなきゃいけない!と分かってる
でもあなたは経験してないから分からないでしょ!ってすごく虚しさと悔しさでいっぱいでした。
ひなの退院が決まる頃、
小児整形専門の病院が近くにあるということで
退院後すぐにいきました。
そこで、告げられた事は
「この子は重度です。
自分でご飯も食べられないかもしれない」
泣き崩れました。
やっぱり、この子は不自由に生きるんだ。
そこからは、いろんな治療が始まりました
アキレス腱をきる手術
股関節の脱臼を治すために体にベルト
手足首の変形を治すための装具
2度の長期入院でも脱臼はよくなりませんでした。
小さい身体にいつも何かしら装具をつけていました。
今思うと、こんなに治療がスムーズに
受けられた事は奇跡なのかもしれない。
あの時はひなを思うと辛く変わってあげたい!と
思うことも、いろんな人が周りにいたから
ひながここまで成長できたんだと思う。
心から感謝です。
ひなが1~2歳頃までは
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とても幸せな毎日でした(*´ω`*)
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