ワシは称号の王様になるんや!
「金子千尋、“金子弌大”を
宜しく」―日ハム移籍の右腕、
新天地での活躍誓う
オリックスを自由契約となり、日本ハムに入団した金子弌大投手が1日、自身のインスタグラムで新天地での活躍を誓った。
新年を迎えインスタで
あいさつ「明日の自分が
今日を後悔しないように」
オリックスを自由契約となり、日本ハムに入団した金子弌大投手が1日、自身のインスタグラムで新天地での活躍を誓った。
新年を迎え「2019年明けましておめでとうございます! 今年から新天地北海道で野球をやらせていただきます」と綴った金子。初詣に行った様子で、その写真も投稿している。
金子はさらに「先の事を考えつつも今出来る全ての事を全力で取り組み、明日の自分が今日を後悔しないように1日1日を過ごしていきたいと思います!いや、そうします!!」と力強く宣言。最後は「今年も金子千尋をそして“金子弌大”を宜しくお願いします!」と締めくくった。
2014年にMVP&沢村賞を受賞するなど、プロ通算120勝を挙げてきたパ・リーグを代表する右腕は、4年契約が満了した昨季終了後にオリックスから野球協約で定められた40%の減額制限を大きく超える大幅なダウン提示を受け、自由契約を選択。その後、日本ハムと契約し、登録名を「金子千尋」から「金子弌大」に変更して再出発することになっている。
(Full-Count編集部)
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吉田輝星の未来予想図、
25歳結婚28歳でメジャー
日本ハムのドラフト1位、金足農・吉田輝星投手(17)のプロ野球人生がいよいよスタートする。大注目ルーキーが描く未来予想図を、お正月らしく「すごろく」風に再現。東京オリンピック(五輪)出場、結婚、メジャー挑戦など、平成最後の夏の甲子園を沸かせたヒーローが、今後の夢を壮大に語った。【取材・構成=山崎純一】
<吉田輝星すごろく スタート>
◆01年1月12日
秋田潟上市で誕生
◆天王小3年
野球を始める
◆天王中
軟式野球部
◆金足農入学
◆1年夏
ベンチ入り
◆3年夏
秋田県大会優勝
甲子園で旋風
全国準V
侍JAPAN経験
ドラフト1位で日本ハムに入団
◆18歳・1年目 プロ初勝利
「1年目にしてみたいと思います」。金足農のエースとして甲子園準V。抜群の人気を伴ってプロ入り。輝かしい第1歩をしるす。過去の日本ハム高卒新人投手では05年にダルビッシュ有が、13年に大谷翔平がいずれも6月に初勝利をマークし、その後野球界を代表する選手へと成長を遂げた。偉大な先輩たちの背中を追いかける。
◆19歳・2年目 東京五輪
「オリンピックを目指しているので」。誰もが憧れる自国開催、64年大会以来56年ぶりとなる東京五輪に出る。野球競技は08年北京以来3大会ぶり。日本は公開競技だった84年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得している。
◆20歳・3年目春 WBC出場
「本当に日の丸を背負いたいという思いが強い」。成人し、顔つき体つきともにプロ野球選手らしさが出てくる頃だ。
◆20歳・3年目秋 最多奪三振
「(自分は)けっこう三振が多いので、やっぱり最多勝もそうですが、最多奪三振を取りたいなと思います。先発ローテーションに入れば、その機会は十分あると思う。獲得できるようにしたい。球団のエースになりたいなと思います」。昨夏の甲子園では4試合連続2桁奪三振を記録しただけに、プロでも期待される。ちなみに高卒で同じ背番号18を背負った西武時代の松坂大輔は4度最多奪三振のタイトルに輝いた。
◆21歳・4年目 初開幕投手
「その年までに開幕投手になれればと思います」。東京五輪、WBC初出場とキャリアを重ね、初の大役に。
◆22歳・5年目 新球場で開幕投手
「新球場の開幕投手になれればと思う」。23年3月に北海道・北広島に開業予定の日本ハムの新球場で最初に投げる。11月23日に行われた新入団選手発表会見で「自分は5年後にしっかり、新しい球場の初めての試合で先発を任されるピッチャーになりたいです」と宣言済み。
◆23歳・6年目 最多勝
「新球場が出来てからというか、その後にはすぐに達成したいと思います」。過去、日本ハムで最多勝を獲得した投手は2リーグ制後8人おり、代表的なのは88年の西崎幸広と15年の大谷翔平で、いずれも15勝でタイトルに輝いた。
◆24歳・7年目 WBC連続出場
「東京五輪から引き続いて、大会ごとに全部選ばれるくらいの活躍をしたいです」と公言する男が侍ジャパンを再び世界の頂点へと導く。
◆25歳・8年目 結婚
「できれば、子どもにプロ野球選手として、全盛期というか活躍している姿を見せたいなと思うので。(20代のうちに?)そうですね…それか、自分が長く活躍するかですね。できれば(子どもに活躍を)見せたいので。(25歳くらいで?)まあ…(笑い)」。
◆26歳・9年目 第1子(長女)誕生
「きょうだいがいた方がやっぱり楽しい気がするので、きょうだいは作りたいなと思う。弟からすればお姉ちゃんがいた方がいいのかなと自分は思います」と一姫二太郎を望む。結婚の翌年、待望の第1子が誕生しパパとなる。
◆27歳・10年目 20勝・沢村賞
「20勝はなかなか出来ない記録なので、絶対に達成してみたいと思います。最低でも10年以内にはやりたいなと思います」。最高投手の称号ともいえる20勝に沢村賞。同時に獲得したことがある投手といえば13年、当時楽天に在籍し24勝0敗1セーブを挙げた現ヤンキースの田中将大がいる。その翌年にはポスティングシステムで海を渡った。
◆28歳・11年目 完全試合
「これは年を重ねて、自分の変化球の質が上がってきたり、その頃にはストレートの質もかなり上がってきて、投手として段々完成してきている時に、それに挑んでみたいなと思います」。これまで日本球界で完全試合を達成した投手は15人しかいない。
◆28歳・11年目オフ メジャー
「球界で活躍している人たちが行っているメジャーという舞台なので、自分も焦らずに、チーム自体も自分も日本一になった時に、挑戦してみたいなと思います。そして1年でも長くやりたいなと思います」。夢の続きはメジャーリーグの世界で…。
<ゴール。続きは米国で…>
(日刊スポーツ)
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昨日は...一人、早朝の寒い!初詣「鎌ヶ谷八幡宮」
午後からは、自宅から馬込沢駅そば、徒歩10分の
初めての初詣「馬込八幡宮」に」、家内と!!
家紋が「梅鉢」で、我が家と同じ紋です。来年はここに!
昨年までは、恒例「浅草:浅草寺」でしたが...
家内体調が優れずに!変更を!!
今日は、午後から!毎年恒例の「多田家新年会」を!
長女夫婦宅で...総勢:9人で、孫も勢ぞろいです。
楽しい!!ひとときですね~!
称号の中心で愛を叫ぶ
今や、お正月の風物詩として、絶大な人気を誇っているのが、箱根駅伝である。
1920(大正9)年、日本の陸上界を強化する目的のため、金栗四三により創設された箱根駅伝は、
今回で第95回目を迎え、長い歴史と伝統を誇っている。
(2019年1月2日、第95回箱根駅伝がスタート)
(箱根駅伝の創設者、金栗四三。今年の大河ドラマ『いだてん』の主人公でもある)
日本テレビは、1987(昭和62)年の第63回大会から、箱根駅伝の生中継を開始したが、
視聴率は、年々うなぎ上りで、今や視聴率は30%近くに達しており、
オリンピックや、サッカーのワールドカップなどを除けば、
全てのスポーツ中継の中で、最も人気の有るコンテンツであると言っても過言ではない。
<日本テレビが、超人気コンテンツに育て上げた箱根駅伝>
当初、箱根駅伝は、峻険な箱根の山に阻まれ、生中継の電波を送る事が難しかったのだが、
箱根の山頂に有る二子山無線中継所のアンテナを介し、技術的にもテレビ中継が可能になると、
前述の通り、日本テレビは1987(昭和62)年から、箱根駅伝のテレビ中継を開始した。
(なお、それ以前は、箱根駅伝のゴール地点など、断片的にテレビ東京が生中継していた)
以後、日本テレビは毎年、箱根駅伝の生中継を続けているが、
箱根駅伝は、毎年、様々なドラマを生み出し、個性的なスーパースターも次々に生まれ、
往路、復路ともに、約7時間という長時間の生中継であるにも関わらず、
視聴率が約30%にまで迫る、お化け番組に成長した。
(1987(昭和62)年、日本テレビが初めて生中継した第63回箱根駅伝は順天堂大学が優勝)
それもこれも、日本テレビが毎年コツコツと放送し、生中継のノウハウを積み上げ、
各校や各選手達の詳細なデータやエピソードなどの取材を重ね、中継の間に紹介して行くなど、
日本テレビによる地道な努力が実ったからであると言えるであろう。
まさに、箱根駅伝は、日本テレビが優良コンテンツに育て上げたと言って間違いないと思うが、
かつて、地上波のゴールデンタイムに連日放送されていた、プロ野球の巨人戦が、
今や、地上波では殆んど放送されなくなり(そのかわり、BSやCSでは、全試合が中継されるようになったが)、
巨人とは一心同体の関係にあった日本テレビとしても、巨人戦を地上波で放送しない以上、
箱根駅伝こそが、日本テレビにとって、最大のスポーツ・イベントと言っても、言い過ぎではあるまい。
まさに、日本テレビが社運をかけて放送しているのが箱根駅伝なのであるが、
箱根駅伝には、毎年、劇的なドラマが有り、日本テレビが、社運をかける価値は有る大会であるというのも、また間違いない。
<青山学院大学の黄金時代と、名将・原晋監督>
その箱根駅伝であるが、名将・原晋監督率いる青山学院大学が、現在、当代きっての最強チームとして君臨している。
青山学院大学は、2015(平成27)年に、箱根駅伝で初優勝を果たしたが、
まさか、青山学院が箱根駅伝で優勝するとは、その時は誰も予想しておらず、青山学院の初優勝は、世間を驚愕させた。
(2015(平成27)年、第91回箱根駅伝で、原晋監督率いる青山学院大学が初優勝)
しかし、青山学院を率いる原晋監督は、サラリーマンから青山学院大学の陸上部の監督に転身し、
かつては、なかなか結果が出ず、青山学院の監督を解任される一歩手前まで行ったが、
原晋監督は、それでも諦めずに、地道にチームの強化を続け、
それが、2015(平成27)年の青山学院の箱根駅伝の初優勝という結果となって、花開いた。
以後、青山学院は2015(平成27)年~2018(平成30)年まで、箱根駅伝の四連覇を達成、
2016(平成28)年度には、出雲駅伝、全日本大学駅伝と併せ、大学駅伝の三冠と、箱根駅伝の三連覇を同時に達成するという偉業を成し遂げた。
(2018(平成30)年、青山学院大学は、箱根駅伝4連覇を達成)
なお、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の三冠を達成しているのは、
1990(平成2)年度の大東文化大学、2000(平成12)年度の順天堂大学、2010(平成22)年度の早稲田大学と、
前述の2016(平成28)年度の青山学院大学という、僅か4校のみである。
(青山学院大学の黄金時代を築き上げた名将・原晋監督は、一躍、メディアの寵児となった)
原晋監督の指導法は、大きな注目を集め、今や原晋監督はテレビ出演や講演などにも引っ張りだこであり、
原晋監督こそ、理想の指導者であるとの事で、原晋監督は当代きっての名将という名声をほしいままにしている。
<2019(平成31)年の箱根駅伝、青山学院が箱根駅伝5連覇&史上初の2度目の三冠に挑戦>
そんな史上最強軍団・青山学院大学は、2018(平成30)年度、現在まで出雲駅伝と全日本大学駅伝の二冠を制し、
もし、青山学院が今回の箱根駅伝も優勝すれば、史上初の、同一校による二度目の三冠達成と、
1959(昭和34)年~1964(昭和39)年に6連覇を達成した中央大学、
1969(昭和44)年~1973(昭和48)年に5連覇を達成した日本体育大学に続き、
青山学院は、史上3校目となる、箱根駅伝5連覇達成という事になる。
(2018(平成30)年10月、青山学院大学は出雲駅伝優勝で、一冠)
(2018(平成30)年11月、青山学院大学は全日本大学駅伝優勝で、二冠)
果たして、青山学院の箱根駅伝5連覇達成は成るか、
それとも、昨年(2018年)に往路優勝、総合2位だった東洋大学が、青山学院の5連覇を阻止するか、
今回の箱根駅伝にも、大きな注目が集まった。
<今井正人、柏原竜二、神野大地…「山の神」の系譜に連なる、法政・青木涼真という男>
ところで、箱根駅伝には、5区の箱根の山登りという、最難関のコースが有る。
箱根の高い山を超え、ゴール近くでは急な下りとなる、起伏の激しい区間であり、
過去、幾多のランナーが苦しめられて来たが、かつて、この山登りの5区で、
伝説的な快走を見せて来たスーパースターが居た。
それが、今井正人(順天堂大学)、柏原竜二(東洋大学)、神野大地(青山学院大学)という、
所謂、「山の神」と称された、5区の山登りのスペシャリスト達である。
今井正人(順天堂大学)は、2年生時の2005(平成17)年、
5区で襷(タスキ)を受けた時点の15位から、何と11人抜きで4位浮上というゴボウ抜きを見せた。
その後、今井正人は、3年連続で5区の区間賞という快挙を達成したが、
3年生時の2006(平成18)年は5区で襷を受けた時点の2分26秒差を、
4年生時の2007(平成19)年は、それを更に上回る4分9秒差という大差を逆転し、
それぞれ5区で逆転し、順天堂大学を往路優勝に導いた。
(初代「山の神」と称された、今井正人(順天堂大学))
今井正人の快走は、日本テレビの中継で「山の神、ここに降臨!」と実況され、
以後、5区で快走を見せる選手には「山の神」という称号が奉られる事となった。
その後、2代目の「山の神」と称されたのが、柏原竜二(東洋大学)である。
柏原竜二は、1年生時の2009(平成21)年に、
5区で襷を受けた時点で9位、首位との差が4分58秒という大差を大逆転する、驚異の快走を見せた。
柏原竜二は、8人抜きというゴボウ抜きで、東洋大学を往路優勝に導いたが、
(2代目「山の神」と称された、柏原竜二(東洋大学))
以後、柏原竜二は4年連続で5区の区間賞、東洋大を往路4連覇、
その4年間(2009~2012年)、東洋大は総合優勝3度(2011年の総合優勝は早稲田大学)という黄金時代を築いた。
(3代目「山の神」と称された、神野大地(青山学院大学))
そして、2015(平成27)年、神野大地(青山学院大学)が、5区で区間新記録を達成する快走を見せ、
5区で襷を受けた時点での2位から逆転し、青山学院を往路初優勝に導き、3代目の「山の神」と称された。
翌2016(平成28)年も、神野大地は5区で快走し、青山学院を往路2連覇に導いたが、
神野大地の快走こそが、以後の青山学院の黄金時代の呼び水となった。
(2018(平成30)年の第94回箱根駅伝の5区で9人抜きの快走を見せた青木涼真(法政大学))
その後、昨年(2018年)、法政大学の2年生・青木涼真が、5区で驚異的な快走を見せた。
青木涼真が5区で襷を受けた時点で、法政は14位と低迷していたが、
青木涼真は、何とそこから5区で9人抜きという素晴らしい走りで、法政を往路5位に導いた。
法政は、往路、復路とも5位、総合6位でシード権を確保したが、
青木涼真の快走は、歴代の「山の神」達と比べても遜色ないものであったと言えよう。
<そして、2019(平成31)年の往路、東洋
が往路2連覇、青木涼真(法政)は7人抜き、青山学院は往路6位>
(第95回箱根駅伝往路は、東洋大学が往路2連覇を達成)
そして、本日(1/2)行われた、第95回箱根駅伝は、往路は東洋大学が優勝し、東洋大は往路2連覇となったが、
法政の青木涼真は、5区で襷を受けた時点の12位から、5区で7人抜きという快走で、法政を往路5位に導いた。
(青木涼真(法政大学)は、今回の箱根駅伝5区でも7人抜きの快走を見せた)
大本命の青山学院は、5区で法政にも抜かれ、まさかの往路6位と出遅れたが、
青山学院の5区・竹石尚人は、5区で襷を受けた時点の3位から、一時は8位まで落ちたものの、
ゴール近くの下り坂で勢いに乗り、そこから2人を抜き返して、何とか6位でゴールした。
青山学院と、往路トップの東洋大との差は5分30秒有るが、果たして、青山学院はこの差を跳ね返し、
逆転優勝を達成する事が出来るのか、それとも東洋大が逃げ切るであろうか?
明日の復路にも、注目である。
(第95回箱根駅伝往路は、優勝は東洋大、2位は東海大、3位が國學院大。以下、駒澤大、法政大、青山学院大、順天堂大と続く)
<法政大学の見果てぬ夢…箱根駅伝での総合優勝>
ちなみに、法政大学は、箱根駅伝には第2回から参加し、今まで出場回数は78回を数えているが、
法政は1931(昭和6)年の往路優勝(往路優勝、復路4位、総合では3位)、2006(平成18)年の復路優勝(往路15位、復路優勝、総合7位)は有るものの、未だに箱根駅伝の総合優勝は達成していない。
私は、東京六大学野球で法政が優勝するというのも勿論嬉しいのだが、
いつの日か、箱根駅伝で法政が優勝する所を見てみたいと、強く願っている。
これは、法政の学生やOB・OG、全ての法政関係者にとって、見果てぬ夢ではないだろうか。
なお、かつて私は、当ブログでという記事を書いたので、
もし、ご興味が有れば、お読み頂きたい。
称号 ふたりが暮らした。
称号 関連ツイート
なお、新規称号獲得の停止については継続しておりますのでご了承ください。
アクセスしづらい問題につきましては、引き続き原因の調査と監視・対応を行ってまいります。
ご迷惑をおかけし…
在日米軍「敵対的でない」と首相 ロシア大統領に説明 | 2019/1/1…