シティーハンター、こたえてよ。メールじゃなくて、私の質問に。
ある交流会に参加したとき、「時間内に大勢の人と名刺交換競争!」みたいなイベントがあって、
私は50枚をゲットしました。(*^▽^*)
それから数ヶ月が過ぎ、名刺を整理していた時、永渕さんの名刺に目が釘付けになりました。
表は素敵なスマイルの永渕さん、裏面には「報道カメラマン」として
フィリピンの子どもたちに囲まれた写真がありました。
保育の仕事をしている私にとって、自然な笑顔で子どもと接する素敵なカメラマンに写真を撮ってもらいたいと思い、
思い切って名刺にあった番号にお電話しました。
名刺の力は偉大ですね!!
そして、本物の永渕さんは、写真以上に素敵な方でした。
そして、お話が面白くて、撮影そっちのけでずっとお喋りしてしまいました(*^▽^*)
経歴がユニークすぎます!!
いざ撮影となると、さすが、プロのカメラマンさん。
たくさんの撮影機材を駆使して、私のグラビア写真(冗談です( *´艸`)や、HP用写真を撮っていただきました。
≪プロフィール≫
名前:永渕元康(ながふちもとやす)
年齢:37歳
お仕事:広告代理店 (株)サイラ 代表取締役社長
子供のころ好きだった遊び:自転車旅(今の生き方にも繋がっている)
子供のころ好きだったアニメ:シティーハンター(こちらもw)
元康少年は、小学3年生の時、自転車少年でした。
集団行動が苦手な彼は、周りに気を遣わず一人でまだ見たことのない景色を見るのが楽しかったのです。
学校から帰ると、一目散に自転車に乗って、どこまでもどこまでも風を切って進んでいきました。
時には遠くに行きすぎて、夜になってしまい、公園で野宿することもありました。
また、家庭環境にやや問題があり、家にいるのが嫌だったことも理由の一つです。
①普段のお仕事や趣味は何ですか?
主に撮影を含む広告全般ですが、社会問題に付随することも多く、
差別無く共生できるコミュニティ作りに取り組んでいます。
その一つとして、伝統と福祉を掛け合わせた海外向け製品の製造と販売に着手
②今までどんな経験をされましたか?
報道カメラマン、広告カメラマン、広告ディレクター、
パティシエ、カフェオーナーなど。
永渕さんは、子どもの頃の辛い経験から、子どもたちを助ける仕事がしたくて、
福祉系の大学で保育を専攻しました。
本当は保育士になりたかったのですが、ピアノがどうしても弾けなくて、
資格を取るのが絶望的な状況に陥ってしまいました。
保育士の夢が敗れて、心にぽっかりと穴が開いてしまいました。
そんな時、たまたま観に行った、報道写真展。
戦争の被害者たちの悲惨な写真ばかり・・・・
その中から、一筋の希望を感じる一枚の写真に出会いました。
ユージン・スミス 写真「楽園への歩み」
アメリカ写真界の巨匠ユージン・スミス「楽園への歩み」。写っているのは、木々の間を通り抜ける幼い兄妹ののうしろ姿。兄は妹の小さな手をしっかり握りしめ、注意深くその手を引いています。ほの暗い木々の間の闇を抜け出し、2人は今、光の中へ足を踏み出そうとしています。 まさに楽園を描いた絵画のように美しい一枚。 そして、伝わってくる不思議なぬくもり。
その写真に出会った瞬間、真っ暗な彼の心にも一筋の光が見えた気がしました。
それから永渕さんは、写真に目覚めました。
バイトに明け暮れてカメラを購入し、中米、アフリカ、アジアの戦争や紛争、被害者の悲惨な現状を社会に伝えるため、
単身で取材に出かけました。
なぜそんな危険な場所に自らの命を顧みず行くことができたのでしょう?
「やらなかったことを後悔したくなかったから。」
しかし、その代償は半端なものではありませんでした。
取材中に崖から滑落。
幸い命に別状はなかったものの、足を大怪我し、
そのせいで、今もまともに全力で走ることができません。
また、取材中は野宿が多く、いつ襲われるかわからないこと、
そして、たくさんの方々の臨終を目の当たりにしてきたことにより、
今も熟睡することができないショートスリーパーです。
怪我をきっかけに、報道カメラマンの道を断念し、様々な分野でマーケティングを学んだ後、
父親の経営する不動産会社を手伝うようになりました。
その時、プロジェクトチーム「サイラ企画部」を立ち上げ、
地元の人のコミュニティー作りを手掛けるように。
そして、地域にコミュニティーカフェをオープンすることになると、
同時に地域をつなぐ広告代理店として「サイラ」を独立させるに至りました。
そこで、永渕さんは、バリスタとして、
来店してくれたお客さま一人ひとりに喜んでもらえるような
質の高いサービスを提供し、心地よい空間を演出しました。
また、来店するお客さん同士が繋がり仲良くなれるよう、セミナーや教室も開きました。
③その経験から学んだことはどんなことですか?
とことん足で稼げ。
国内外の問題に対してどのような解決方法を導き出せるか。
報道カメラマン時代、目の前にいる被害者やストリートチルドレンを
助けることができないことが情けなく、もどかしくて仕方なかった。
この辛い現状を変えるため、自分にできることは何か・・・
目の前の一人を助けるだけでは何の解決のもならない。
本当の援助とは、彼らが仕事をする環境を整え、
生き生きとやりがいをもって働けるようなしくみを作ることではないだろうか。
そう考えた彼は、仕組みを作る手段として、広告代理というやり方を思いつきました。
④これからやりたいことや叶えたい夢は何ですか?
日本の福祉分野の立て直しから、最終的には、取材してきた国々に自活できる仕組みを持っていきたい。
希望が持てない現状から、希望が持てるようになり、生きる活力が生まれ、それがお金になる。
問題を抱えて、生きる希望が見えなくなった人をサポートし、
明るい「未来の光」を見せてあげたい!
彼は、スマトラ島沖地震の取材に行ったとき、津波被害であまりにも悲惨な状況を目の当たりにして、涙が止まらなかった。
その時、後ろから誰かに思い切り背中をたたかれた。
家を失い、家族を亡くした、現地の男性から言われたのは、
「笑え!!」
どんなに悲惨な状況でも、生き残った人間は、明日に向かって生きていかなくてはならない。
悲しみを喜びに替え、
”希望”という「光を紡ぎだす」ことを自分の使命にしよう・・・
そう思いました。
⑤皆さんに伝えたいことは?
人生は自分の意思で行動してなんぼ。
例え、その先に失敗することがあっても、それは、その先の未来を創る、失敗という名の経験にすぎない。
永渕さんが今取り組んでいるのは、日本の伝統文化と福祉作業所をつないで、
日本の伝統文化を海外にも伝えることです。
後継者不足に悩む「ものつくり職人」と、障碍者施設も自立した経営を目指すことで、
「共に支え合う」社会が実現できると考えています。
「シティーハンター」の主人公のように、助けを必要としている誰かを救ってあげてください。
社会に声を上げることすらできないで困っている人たちを、後ろから支え、援護射撃をする、
永渕さんの夢が叶いますように、私も全力で応援します。
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というか寝落ちしてしまった
「GET WILD」はシティーハンターのOP曲ではなくED曲。