さて、これはいつのゆづでしょう?
そう、皆さんおわかり←早っ!
2014年NHK杯非公式練習です
懐かしいキャプ引っ張り出してきた~w
前戦の中国杯で負傷したゆづは
この非公式練習で自分が試合に出られるか、試合に耐えうる体の状態であるのか確かめていたんだよね
一蹴り一蹴り丁寧に氷の感触を確かめながら滑っていたのを思い出します
ブライアンを見て…
…やだ、かっこいいo(ToT)o♡←安定の
この練習で最後に4Tと4Sを決めて、試合に出ると覚悟を固めた
この笑顔だもん
“いける、大丈夫”って気持ちもあっただろうね
でも試合当日
公式練習ではジャンプが決まらなくなった
5日間しか練習できなかったんだもんね
調整は本当に大変だったと思う
この時のことを振り返るゆづ
このね、インタビューですよ
私これ好きなインタビューなのですが
当時見た時に、見入って聞き入って…“この人すごいな…”って心底思った記憶があります
言葉一つひとつに力が宿っていて、自己分析力とそれを言語化して表現する力にびっくりしたんですよね
とてもじゃないけど19歳に思えない
相手に伝わる力
伝える力が尋常じゃない
もう引き込まれて惹き込まれて
今見返してもゾクッとする感覚にもなります
ゆづの考え方や基本的思考のようなものがギュギュッと凝縮されたものなんじゃないかと思います
なんかね、この当時のことを今振り返ると、『現在(いま)』に続いてくるから確かで驚く
こうして過去のことを思い返して現在に重ねることができるのって、世界選手権まで時間があるからだよなぁとか思ったり…
なんだか最近、過去を反芻して“ああ…そうだった、私はこんなところに落ちたんだった”“こんなところを好きになったんだった”“この人はこういう人だった”“こんな羽生結弦を見せてもらってきた”ってね、道を辿ったりしている自分がいます
目を瞑りながら考えて…
やっぱり…
急に仕上げたので
アップダウンが激しかったのかなと、自分のなかでは解釈していますね
良くなったり悪くなったりっていうのを、結構ほんっとに一日単位で…あったので
実際、非公式練習は、見てた通りほんっとに良かったですし、“ああ…、このままだったらいけるな”って思ってたんですけど…
こんな中で迎えたSP
結果…今にも泣きそうな顔に見える
大泣きしそうだなって
と同時に、自分への怒りもありそう
続くフリー当日
いつも以上にイメトレしてたんで…それはあったと思います
このね、インタの心が掴まれる部分…
ゆづの表情が強いんだよね
なんて言うのかな…すごくいい顔をしている
目に力はあるし言葉の歯切れはいいし
口調にまったく淀みがない
強靭な意志みたいなのが伝わってくる
余計なものが削ぎ落とされて
削がれて削がれて彼の内にあるものがあらわになっているというか…これが彼なんだなって
これが羽生結弦なんだなって
すごくシンプルに感じ入ったんですね
この逆境と追い詰められた窮地に立たされても尚、輝きを増そうとする本質力みたいな
そういうものを感じます
(だからたぶんこのインタ好きなんだ)
迎えたフリー6練
そして演技後『終わった…』と呟いた
もう…もう…悔しくて悔しくて仕方がなくて、もうどうしようもなかったんで
いや、泣いててもしょうがないなってわかってたんですけど…
いろいろあり過ぎたんだと思いますね、自分の中で
何をしなきゃいけない、これもしなきゃいけない、あれもしなきゃいけない…
その…5日間で仕上げたことによる…
『自分への不信感』っていう言葉が合ってるのかどうかわかんないけど
あの、なんか…まあ、バスの中でもそうですけれども…
で、本番の時はもちろん集中してないし、でも6分間集中できてるし、かと言ってじゃあ、ビビんなかったかって言われると…そうでもないし、
だからなんか、ほんと…
まあ、ほんとに試行錯誤だと思いますね
場数踏まな
と、どうしようもないものだと思います
なんですかね、今まで…今、使っている自分が何をしよう、こうしよう、ああしようっていうのは、基本的に今までの自分に通用していたものだし
で、このグランプリ2戦とも終えて、それが通用しないことはちゃんとわかっているので…
そこから、
もう本当に聞いていてゾクゾクっとする
この立場に立たされたからこそわかる彼の芯の強さだなって思いますし、こういう場を乗り越えて来たからこその今の強さなんだなって再確認します
あらためてこういう場数を踏んできたから現在(いま)があるんだなって実感します
しかし“自分への不信感”と表現する微妙なニュアンスの違いに、だからこそ彼の強さなんだなぁとか思ったり
不安と不信の違いをハッキリ認識しているからこそ、その対処が的確にできるわけであって…
この感性というか選定眼力というか…素晴らしいなって思います
そしてこの窮地でこの冷静な判断ができるということがすごいと思います
集中の話で思ったんだけれど、このNHK杯だけでものすごい集中のムラを経験しているわけで…
思えば2014年世界選手権SP
この時も『全然集中してなかった』って言ってたよね(ケンジの部屋)
オリンピックチャンピオンだから勝たなくては“ならない”
勝ちたいではなく“ならない”になって、そこに囚われすぎて集中できてなかったと
2015年にはNHK杯とファイナルの集中の違いを語っている
所謂ゾーン的なものに入っていたと思われるNHK杯と、それを超えなくてはならないがゆえの完全に計算し尽くし自分をコントロールし切ったファイナル
それから2017年世界選手権
とても印象的だった“集中”
『演技内容を忘れるぐらい、一つ一つ集中して一生懸命やれた』
『風の中や川の中にドプンと入っている感覚、自然の中に溶け込んでいる感覚だった』
後に振り返って
『あれ集中だったんだ』と理解する境地
ほんと、いっろーーーーーーーんな場数を踏んできているなと
こういうのが、やはり確実に彼の血肉になってきたんだろうなってあらためて思いました
もっと言うと、これらの土台って昔からの試練の中で身につけてきたことの積み重ねなのかなって思ったり…
リンクがなくなったり練習時間が減ったりと、その中でやらなければならないという状況は、自ずとその術を身につけることになったのかなと想像します
勉強の仕方もそうかもしれないね
進研ゼミでの冊子に書いてあった通り
過去記事
ゆづのこの計画性と(中学生ですよ?)自分に合ったやり方を見出していく能力
“今”を最大限に有効活用していく姿に驚きです
印象的だったのがお母様の
『今やるべきことはそれでいいの?』という言葉
完全に考えさせる主導性を促していますし
強制による負のサイクルも生み出していないなぁと感心しました
思うに、中学生ゆづには中学生ゆづに合う言葉を、ちびっ子にはちびっ子に合う言葉を、その時々に考えてかけられていたのかなぁ
本当に必要な言葉を
相手のためになるように
限られた時間を有効に使う日々で、身についてきたこともあったのかもしれないね
こういう過程と併せて
思い出していたゆづの言葉たち
ソチが終わった直後
先を見極め見定める力、素晴らしいなって思います
その通りになったよね
また2015年の夏には
“追いつかない”…
これからの流れの速さを予期している
すでにネイサンの名前も出ていた
時代の到来も
ゆづはすべてわかっていたんだね
この年(2015年)NHK杯の構成変更時には
(この前記事書いたばっかだね!w)
すでに平昌五輪を見据えていた発言
『僕としては平昌五輪まで見据えて、むしろ…まずはこの試合が大切ですけれども、自分を成長させる、していくためには、やはり早い段階からやっておかなくてはならないと思いました』
なんかね、長い長い時を経て…
すべてがあの瞬間に繋がったんだなって
決してあの時だけのものではなく、過去のどの経験も必要で、どの悔しさやどの感情も、どの集中もどの涙も、繰り返した歓喜や抱いた自分への不信感も、すべてがあの瞬間に生きるためのものだったんだなって思い返していました
そしてそれは今季にも…
現在(いま)も続いているなって思います
決して途切れることなくすべてを伴って流れ続けている
の過去からの奔流が、彼の現在と未来を静かに力強く支えてくれているように思います
どうしても個人的に2014年のNHK杯は思い入れが強くて…そこからいろんなことを重ねみました
お付き合いありがとうっ✲*゚
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